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書籍『三式戦闘機「飛燕」二型6117号機の記録』

日本航空協会から出版された『三式戦闘機「飛燕」二型6117号機の記録』が届きました。
機体を修復できないかという話が持ち上がった段階から、僕もいろいろと関わっていたので、日本航空協会さんが送ってくれたようです。
嬉しいことです。

とても充実しています

目次は日本航空協会のサイトに紹介されていますが、こんな感じです。

第I部
現在の「飛燕」6117 号機
第II部
1. 三式戦闘機「飛燕」とは
2.文化財としての「飛燕」の修復
資料編
1 .「飛燕」6117号機の舵面羽布張り替え
2.「飛燕」6117号機の現存する塗装の測色
3.『「ハ60」41型発動機取扱法(仮)』掲載の写真および三式戦闘機「飛燕」二型の図面
4. 横田基地および日比谷公園で撮影された「飛燕」6117号機
5. 日本航空機規格 航格第8609 航空機用塗料 色別標準
6. 「飛燕」6117号機の図面
7. イギリス空軍博物館の五式戦闘機のディテール

目次

税込みで11,000円の高い本ですが、フルカラーで300ページを超える大判ですから、これでもずいぶん安くしていると思います。たぶん利益なんか出ないでしょう。日本航空協会だから、これで出せたんじゃないかと思います。

内容見本は航空協会のサイトで見られますが、飛行機マニアの人なら見ていて楽しい一冊ではないかと思います。

修復と展示の考え方

この「飛燕」6117号機というのは、知覧の特攻平和祈念館に置いてあった日本航空協会所有の機体を、川崎重工業の創立120周年記念事業として修復し、現在は岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に展示されているものです。
博物館ではリニューアル工事を行っているタイミングだったので、この飛燕はリニューアル展示の目玉のようになりました。

修復にあたって、できるだけ手を加えず、オリジナルの状態にダメージを与えないことを最優先にすることが、日本航空協会の方針とされました。
機体は、米軍に接収されてから繰り返し損傷と修理を受けており、オリジナル状態が損なわれている部分も少なくないのです。しかし、だからといって現在の材料や工作で直してしまうことは最小限とし、オリジナルを残すことが優先されたのです。

そのため、展示されている機体は塗装もされておらず、欠損や破損がそのままになっている箇所もあちこちにあります。これは、展示品としての見栄えではなく、過去の遺産をできるだけそのまま未来に継承することが、博物館の役割である、という考え方に基づいています。
古墳から出土した遺物を、きれいに修理して展示する博物館はありません。
このあたりの考え方は人によって受け止め方が違いますが、やはり博物館は「見栄え優先」であってはいけないと思います。
そういう話も、この本には書かれています。

飛燕と我が家の関わり

僕にとって「飛燕」は、子供の頃からいつも父親に聞かされてきた飛行機でした。僕の父親は、戦時中の学徒動員で「飛燕」の製造工程で働かされていたのです。父親が「飛燕」と呼んだことはなく、いつも「キ61」と呼んでいました。

当時の川崎航空機には、片岡載三郎という有名なテストパイロットがいましたが、親父はこの片岡操縦士にタバコを貰ったりしたこともあったようです。まだ15歳か16歳のはずですが、そういう時代だったのです。
片岡操縦士はキ61II型の飛行試験中に木曽川の河川敷に墜落して亡くなるのですが、親父はその現場で拾った残骸を家に持ち帰っていたそうです。この話は、親父が死んだずっと後に叔父から聞かされました。
(その叔父が学徒動員に採られたときは、もう昭和20年(1945年)なので五式戦闘機の製造ラインでした)

そんなわけで、この飛燕は僕にとっては少しだけ特別な飛行機でもあります。


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