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涙と、ショッキングと、そして恐怖 『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』

昭和60年8月12日。

小学4年生だった私は、生まれて初めて飛行機に乗って東京へ行った。埼玉に住む叔父の家に着き、テレビを見ていると、飛行機が墜落したという臨時ニュースがあった。その直後、叔父の家にはあちこちから電話がかかってきた。親戚中が、私の無事を確認しようとしたのだ。冷静に考えれば、行き先がまったく違う飛行機なのだから大丈夫に決まっているのだが、今になってみると親族の心配もよく分かる。

亡くなったのは520名、ご遺族は数千名にのぼる。当時の私と同じ10歳の男の子も乗っていたという。私と一緒で初めての一人旅行。甲子園を見に行く途中だったそうだ。墜落した日航機は、私が羽田に着いて数時間後に離陸している。もしかしたら、空港で彼とすれ違ったのかもしれない。リュックを背負った小学4年生の自分の姿と重ねて、哀しさとも切なさとも言えないような感情が胸に湧く。

本書は、遺体の身元確認作業で責任者だった人が書いている。中には、『三陸海岸大津波』や、『遺体 震災、津波の果てに』と同等か、それ以上にショッキングな描写がある。涙なくしては読めない箇所も多々ある。引用するので、そういうのが苦手な人はここで読むのをやめたほうが良い。

「礼!」検視官の号令により、検視グループ一同が手を合わせ、一礼してから検視が開始される。
「何だこれは……」
毛布の中から取りだした塊を見て、検視官がつぶやく。
――塊様のものを少しずつ伸ばしたり、土を落としたりしていくうちに、頭髪、胸部の皮膚、耳、鼻、乳首二つ、右上顎骨、下顎骨の一部、上下数本の歯が現れてきた。
――少女の身体は中央部で180度ねじれてひきちぎれ、腰椎も真っ二つに切断され、腹部の皮膚で上下がやっとつながっている。
――なかば焦げた左上肢、その中ほどに臓腑の塊が付着している。塊の中から舌と数本の歯と頭蓋骨の骨片が出てきた。それらを丹念に広げてゆくと、ちょうど折りたたんだ紙細工のお面のように、顔面の皮膚が焦げもせずに現れた。
――二歳くらいの幼児。顔の損傷が激しく、半分が欠損している。それなのに、かわいい腰部にはおむつがきちっとあてがわれている。
「こういうの弱いよなぁ」
検視官がひとりごとのようにつぶやき、幼児の遺体を見つめている。それまでバシャバシャと切られていたカメラのシャッター音と閃光が一瞬止まった。
「おい、写真どうした」
検視官が座ったままの姿勢で、顔を右にねじ曲げ、脚立の上の警察官を見上げた。
「焦点が合わないんです」
写真担当の若い巡査が、カメラを両手で持ったまま泣きべそをかいている。
検屍総数は2065体である。このうち、完全遺体(註:頭部の一部分でも胴体と繋がっている遺体)は492体となっているが、五体満足な遺体は、177体であった。他は、完全体でありながら、第3-4度の火傷、炭化をともない、または四肢の先端部が焼失しているもの、炭化を伴いながら、四肢のいずれかを欠損しているもの、死体が、1-数ヶ所において離断されているもの等である。
離断遺体は、1143体となっているが、身体の部位を特定できるものは、680体であった。他の893体は、身体の部位が分からない骨肉片である。すなわち、520人の身体が、2065体となって検屍されたということである。検屍もできずに飛散した肉体の部分はどのくらいあったのだろうか。見当もつかない。 
中年の男性だと思ったら、15歳の少年であった。はいているパンツの上部に名前が書いてあり、血液型も一致している。確認に立ち会った父親が、「これはうちの子ではない」という。
「うちの子はこんなデブではない。もっとスマートだ」と。
少年の顔はむくんだようになっていて、それが地面にべたっと叩きつけられたようになっている。直径10センチくらいの丸いおせんべいのように。
顔の骨もぐしゃぐしゃに粉砕している。担当の警察官が両手で顔をはさみ、粘土で型でもつくるように寄せると、
「あっ、うちの子です」
父親は息子の名前を呼びつつ、棺の中の遺体を抱き起こした。
――「僕は泣きません」
前頭部が飛び、両手の前腕部、両下肢がちぎれた黒焦げの父の遺体の側で、14歳の長男が唇をかんでいる。
妻はドライアイスで冷たく凍った夫の胸を素手のままさすっていた。
「泣いた方がいいよ。我慢するなよ」
担当の若い警察官が声をかけ、少年の肩を軽く叩く。
「僕は泣きません……」
震える声で少年は同じ言葉を必死にしぼりだした。
「泣けよ」といった警察官の目からボロボロと涙がこぼれ落ちている。

生前の父親から「男の子は泣くもんじゃない」と言われていたのだろうか。父の無残な遺体を前にして涙をこらえる少年の姿を思い浮かべると胸が詰まる。

こういう凄惨な状況下で現場は必死になって作業をしているにもかかわらず、遠く東京で構えている本庁ときたらまったく……、というエピソードがある。

伝令の長谷川も次々と本庁の指示を私に報告してくる。体育館の面積、構造は。資料室はどうなっているか。遺体の保存方法は。電話回線は……等々、長谷川がほとんど窓口になっていた。
こんなこともあった。いらいらしている長谷川に、本庁の補佐は「伝令は君一人か」と聞く。「そうです」と答えたら、「班長にいってもっと増やせ」と命令された。むっときた長谷川が「検討しときます」と大声で答えると、「君の階級は何か」ときた。
こんな場面で階級を聞かれるとは思ってもみなかった。巡査と即答したら何か言われるような気がする。なんとなく巡査と言いにくい雰囲気にもなっている。
いささか返答に窮しているところに、私が戻ってきた。
「本庁で、私の階級を言えといっているんですけど……」
長谷川が受話器を右手のひらで、怒り顔を私に向けて言う。
「警部とでも言っておけ」
それだけ長谷川に言い、次の棺に向かった。
「あの夏だけ警部に特別昇進させてもらいました。その後は本庁の警部も私をさん付けで呼んできたりして……そのたびに顔がポーッとほてりました」

まさに「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!!」を地で行くような話だ。

甲子園を応援に行った少年は10歳より先の自分を知らないままだ。当時10歳だった私は結婚し、45歳になり、3人の娘ができた。今ある自分の命も、自分の周りの人たちも、ともすれば当たり前のものと錯覚してしまうが、こういう本を読むと、その大切さ、素晴らしさが身に沁みる。


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