見出し画像

Boonzzyの「新旧お宝アルバム!」 #186 「The Dirt And The Stars」 Mary Chapin Carpenter (2020)

あっという間に11月になり、コロナ禍で大きく私たちを取り巻く環境が変わった2020年もあと2ヶ月。明日には大統領選もあり、この激動の2020年もエンディングに向けて大きな動きが出てきそうですが、今年コロナということだけでなく大きく働き方が変わった自分としては来月年齢的に大きな節目を迎えることもあり、来年以降に向けてこの新しい仕事スタイルをより確実な、着実な、そして何よりも自分として心地よいものにしていくために努力を重ねていくのみですね。このnoteでの洋楽を中心にした発信活動もその一つ。これから年末にかけては毎年以前のブログでやっていた、年明けのグラミー賞発表に向けてのいろんなコラムもどんどんアップしていきますのでお楽しみに。

さて今週の「新旧お宝アルバム!」ですが、やはりどうしてもこのコロナ禍の下では、先週のザ・ウォー・アンド・トリーティのように心を癒やしてくれるような滋味溢れる作品や、この間のテイラーの『folklore』や、今巷で既に名作の評判を集め始めているブルース・スプリングスティーンの新譜『Letter To You』のようにこの新しい世界でのアーティストの心情の吐露を聴き取ることのできる、そんな作品にどうしても耳が行くんですよね。そうした観点から、たまたま先日導かれるように購入したメアリー・チェイピン・カーペンターの新譜が、正にそうした感情がにじみ出している、そこはかとないメッセージを湛えているように聞こえたので、今週はそのアルバム『The Dirt And The Stars』(2020)をご紹介します。

画像1

こうやって長い間いろんな音楽をできるだけ幅広く聴くことを心がけてきても、人間のやることには当然限界があって、結構著名でよく知られているアーティストでも実は代表作しか聴いてなかったり、あるいはちゃんとアルバム通して聴いたことがない、なんてアーティストはまだまだいっぱいあります。こうして偉そうに「新旧お宝アルバム!」なーんてやってますが、自分のそうした従来広げることができなかった視野を広げるためにやっている、という目的も実はあるのですよ。そして自分に取ってのメアリー・チェイピン・カーペンター(MCC)もそうしたアーティストの一人。

MCCというと、90年代に全米でカントリーがポップ・クロスオーバーしてメジャー・ジャンルとしてシーンを席巻していた時代に登場して、後にアメリカーナを代表することになるルシンダ・ウィリアムスの初期の作品「Passionate Kisses」(1993年全米57位、カントリー4位)でブレイクしたカントリー系のシンガーソングライターで、1992〜1995年にかけて4年連続でグラミー賞の最優秀女性ソロカントリー・ボーカル部門を受賞するなど全米で人気を誇った(でもHot 100のトップ40ヒットはない)ひとだ、というくらいが従来の自分の認識でした。全米でのカントリー・ブームが去った2000年代以降も地道にアルバムを出していること、シーンからの評価も単なるカントリーの枠に囚われないシンガーソングライターとしての高いものがあることも知ってはいて、そのうちちゃんと聴かなきゃな、と思いながらも何故かこれまで縁がなかったというか。

画像2

で、先日「次はどのレコードを買おうかな」とネットを物色していたら、いきなりこのアルバムのジャケが目に飛び込んできて。正面を向くことを躊躇しているかのように横を向いているメアリーの顔を覆い隠すようなゴージャスなそれでいて自然な彼女のブロンドヘアが何やらミステリアスでありながら、一種はっとするような雰囲気を醸し出しているこのジャケを見た瞬間にピン!と閃くものあって気が付いた時には既にポチっとしてました(笑)。

もともと自分は「ジャケ買い信者」の気があって、「ジャケ買いの成功率は最低60%」を信じているし、過去ジャケでピンと来て当たった成功体験も多いので(注:ソウルのレコードの場合、「ダサジャケに名盤あり」の法則もあるので要注意)今回もアルバムが届くのを楽しみにしていました。届いたアルバムにさっそく針を落として冒頭のムーディーな「Further Along And Further In」からタイトルからして気持ちを落ち着かせてくれる「It's OK To Be Sad」、そして3曲目の不思議なアトモスフェリックな響きのあるアコースティック・バラード「All Broken Hearts Break Differently」に来たあたりで僕の期待は確信に変わっていました。落ち着いた、優しく語りかけるようなメアリーのボーカルと、控えめながら彼女の歌声をしっかりバックアップしている、アコースティックな楽器中心のバックの演奏、そしてこのコロナ禍の下わき上がってきた様々な感情や気持ちをさりげない表現で流れるような歌詞で語ってくる歌詞。これまで聞いていたとおり、カントリーというよりも丁寧に作られた、フォークロック作品といった趣の楽曲群を聴きながら、いろんな悩みや考え事が少しずつ溶かされていくような、そんな感覚を想起させてくれるこのアルバムはまさにコロナの秋のこの時期にピッタリだ、と実感したのでした。

一方で「アメリカ万歳」的な価値観を痛烈に皮肉るような、ある意味今のトランプ大統領とその支持者層に対するアンチテーゼの表明のようにも聞こえる、曲調もちょっとロック調の「American Stooge(アメリカの愚か者)」といった曲などもさりげなく含まれているのもこのアルバムがただの感傷的なフォークアルバムに止まらない作品であることを示しています。

「彼は小さな南部の町で生まれ育った男の子
働き者の両親に取っては自慢の息子
無事に卒業して学位もとって見事入隊
お国のために尽くしたが家に送り返された

自分の商売を始めたがうまくいかず
それでも大きな夢を捨てきれず
町を出て新しい人生を始めることを誓った

負ける訳にはいかないんだ
ニュースは彼のことで持ちきり
甘ったれたことをくよくよ言わないぜ
それがアメリカ流ってもんだ
真実なんかクソ食らえ
彼はあの大将におべっか使ってる
彼はアメリカの愚か者
まあ自分で好きでやってるんだろうけど」

一方、自分がもういい年になって最近昔に亡くなった親父のことなどを思いながら、自分の息子との会話が少ないなあ、と思っているところに聞かされた「Nocturne」という静謐なトラックに乗って静かに歌われる曲でも、詞を読んで思わず「自分はどうだろう?」と心の奥深くを掻き立てられるような気分になりました。

「夏の終わり 家中は既に眠りについている
起きているのは屋根裏部屋にいるあなただけ
窓は開いていて外は街灯と星の灯りだけ
空から照らす街灯と星の灯り

家の前の道を通る車の音が聞こえる
近所の犬が吠えていて、木々には風がわたってる
あなたは自分の城の大将で、今日一日いろいろと
考えたことを改めて思い返している
階下で寝ている子供達
毎日の家事の後でぐっすり寝ている妻
楽な日もあればきつい日もある
家族の愛を得るのが難しい日もある

あなたはあなたくらいの年頃の父親にそっくり
感慨よりも驚きで鏡から思わず下がる
同じこめかみの白髪、同じように遠くを見るような目
今になって父親が何を隠そうとしていたかがわかる

子供の頃、父親がもっとそばにいてくれたら、とあなたは思う
もっといろんなことを話してくれてたら、とあなたは思う
そしてそうした後悔は同じように父親から息子に受け継がれる」

ツェッペリンやストーンズ、ビートルズやザ・フーらを手掛けたことで有名なプロデューサー、グリン・ジョンズの息子、イーサン・ジョンズのプロデュース(前作の『Sometimes Just The Sky』(2018)も彼のプロデュースだったようです)によるこのアルバムには派手なサウンドや、キャッチーなアレンジやメロディはほとんどありません。時折「American Stooge」のようにアップテンポな曲はありますが、全編基本、オーガニックな楽器演奏によるミディアム・テンポかバラードです。でも単調では決してなく、歌詞をちょっと読んでみながら聴くと、暖かく語りかけてくるようなメアリーのボーカルの向こうから見えてくる、様々な表現や感情が映画のように表れては消える、そんな作品になっています。そんなアルバムの最後を締める「Between The Dirt And The Stars」は同じくミディアム曲ながら、控えめなハモンド・オルガンをバックにワルツのリズムによる70年代を彷彿させるようなカントリー・ロック・バラード。そしてそれには意味があるのです。

「ジャスミンの香りが漂う夜を思い出した
私は17歳で車の中 どこにだって行く気満々
夏の夜の空気が肌に張り付いてくるようで
ビールで頭がちょっとぼやっとしてる
車の窓から腕を出して
でもいまあなたが言ったことが聞こえないの

ラジオではストーンズが「Wild, Wild Horses」と歌ってる
これから君たちが知ることは
すべてコーラスの中にあるって

君を形づくった全てのもの
君の心を砕いた全てのもの
君の魂に語りかけてきて
君のかけらをひとつずつ奪っていったもの
君が追いかけてすべてのきらめき
愛が君から奪っていったすべての信念
暗闇にかき消されてしまった全ての光
そして君を諦めさせてしまったすべての理由

さあラジオをつけて
「Wild, Wild Horses」
これから君が行くところについては
すべてコーラスの中に出てくる

僕らは自らの出所に向き合う頃には年月は過ぎていく
時は全ての人の期待を裏切ることを知る頃には時は過ぎていく
もし運が良ければ幽霊や祈りといったものは敵ではなく仲間になる
だから私はタイムトラベルして
あなたがラジオに合わせて私に歌ってくれたあの時に
真っ直ぐ戻ってくる

「Wild, Wild Horses」
僕らがこれから知ることはすべて
コーラスの中にあるんだよ、って」

ストーンズの「Wild Horses」をモチーフに使ったこの曲の後半のデューク・レヴィンによるちょっとファズのかかった雄弁なギター・ソロたるやアルバムラストを飾るにふさわしいもので、ちょっと例えが適当かどうか不安ですが、あのカーペンターズの「Goodbye To Love」の後半のトニー・ペルーソのギターに匹敵するような、抑えめながら胸にぐっとくる感動を呼んでくれます。

画像3

今回このアルバムを聴いてみて、初めてちゃんとMCCの作品に向き合うことができてホントに良かったなあ、というのが実感でした。このアルバムの楽曲達で聴けたような、身近に寄り添ってくれて、様々な感情や思いをさりげなく、でもとってもビジュアルに語ってくれるそんなシンガーソングライターなんだろうなあ、という自分なりのイメージが持てたから。そして、果たして自分の感じたそうしたMCCの素晴らしさが、本当にそうなのかというのことは、これから彼女の作品を一つずつ遡って聴いていくことによって確かめていきたいと思っています。この驚くほど成熟した、素晴らしいミュージシャンシップが、90年代にブレイクした頃からそうだったのか、それともそこから30年の時を経ることによってーーその間もMCCはコンスタントにアルバムを発表し続けていて、いずれも平均以上の評価を音楽メディアから受けていますからーー作り上げられてきたものなのか、そういうことを過去作品を聴き込んで行くことによって検証できる、という自分的には新しいアーティストの楽しみ方ができるなあ、と今から楽しみにしているところです。特に、彼女が最初のブレイクを果たした90年代のアルバム、『Shooting Straight In The Dark』(1990年全米70位、カントリー11位)や『Come On Come On』(1992年全米31位、カントリー6位)がどう聴こえるのか、この新作と同じように自分の心に響いてくるようなそんなアルバムなのか、とすごく楽しみ。

今回のアルバムはヴァイナルLPのみのボーナス・トラックもあり、そのうちの1曲が「Our Man Walter Cronkite」という、アメリカの60〜70年代のリベラルな良心を代表する有名なニュースキャスターを引用した抑えた曲調のバラードで、これは今の大統領選を迎えて、現職大統領によって国内の分断が増長されている状況に対するMCCの意思表明とも取れる楽曲であるというのが、彼女の作品をこれから掘り下げていこうと思っている自分にとっては大きなメッセージのように思える、そんな感覚を持っています。すでに90年代からずーっとメアリー聴いててよく知ってるよー、と言う方はともかく、初めてメアリーの曲聴いた、と言う方や「うーん名前は知ってるけどよく聴いたことない」という皆さん、この機会に僕と一緒にMCCの作品を掘り下げていってみませんか?

<チャートデータ>
ビルボード誌
全米カントリーアルバムチャート 最高位35位(2020.8.22付)
同アメリカーナ・フォークアルバムチャート 最高位6位(2020.8.22付)

(最後までお読み頂きありがとうございます。この記事は無料で読めますが、読了後価値ありと思われたら、ご購入ご検討下さい。また、このシリーズや他の記事がお気に召したらnoteの機能で「サポート」も可能ですのでよろしくお願いします)


ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?