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【代官山リトリート⑤】「心の第3の場を持つ」意味

リトリートとは何でしょうか?

最近よく見かけるこの言葉、wikipediaではこんな感じ。

リトリート (Retreat)とは、退却や後退という意味の英語。
隠居、隠居所、隠れ家。または避難、避難所という意味の英語。
キリスト教などにおける修養会のこと。
サッカーの守備戦術のひとつ。→ディフェンス (サッカー)#リトリート
東京都江東区の声優事務所。

2列目のあたりがここでいうリトリートに該当しそうです。

コトバンクさんには、以下の記載もありますね。

仕事や家庭などの日常生活を離れ、自分だけの時間や人間関係に浸る場所などを指す。

一方で、サッカー用語ではこんな感じのようです(出典:意味解説ノートさん)

サッカーにおけるリトリート
サッカーにおけるリトリートは「自陣でまで下がってディフェンスをすること」を表します。ボールが相手にある状態では、ほとんどの選手が自陣まで戻ってきてゴールを守ります。ゴール前に人数を多く配置することでチャンスを与えなくさせる戦術の1つです。カウンターを得意とするチームなどがよく用いる戦術ですが、勝っている状態でこのまま守り切ろうとするチームもよく用いる戦術です。

何だか示唆的です。(以上、ハイライト強調はべっぷ)

自分なりに解釈すると、、、

「通常の日常の状態やルーティン」とは異なるパターンを「敢えて」取る(そういう、いつもの一般的なものを離れて)ことで、新しい意味や効果を得るために取る行動

のようですね。

疲れた時に休むことも、日常に飽き飽きした(行き詰まった)時に、別の刺激を得るために動くことも、嫌な仕事から逃げ出すことも、ワクワクすることを探しに行くことも、逆転を狙ってマニアックなところから攻めることも、ただひたすらに自分にとって安心安全な場所に引きこもることも、そういう場に身を浸すことも、あらゆる「〜ねばならない」「〜すべき」をサボることも、、、、

何だか、自分にとっては「リトリート」という言葉に近い感じがしています。

友人のタジさんのご縁で、千葉県香取郡、神崎の日本酒の蔵元、寺田本家さんの田植えをここ最近、手伝いに行ってます。今年は草取り行けなかったー××;残念! 1年前に長男が生まれたてでこの田んぼのあぜ道で出会った亀、「おちょこ」の里帰りも兼ねて)


例えば、自分にとっては、上記、寺田本家さんの田んぼの作業を手伝いに行く、みたいなことはすごいリトリートな感じします。仕事も日常も忘れてただ作業に没頭する。裸足で気持ちのいい泥の中に足を突っ込んで、よろけながらもおしゃべりしながら、笑いながら、時に無心に、時にぼーっとしながら、苗を植え続ける。終わった後、一緒に汗流した皆さんとご飯やお酒でわいわいおしゃべりする。寺田本家さんのお酒やそこに集う「人」を通して、「発酵」の世界に触れる、寺田本家さんの歴史や哲学に触れる。。。

(寺田本家さんは、無農薬米、無添加、生もと造りの独創的なお酒造り(自然酒)に取り組んでいる清酒の醸造元です。玄米酒も開発、発売しています。発芽玄米酒の「むすひ」はかなり特殊なお酒(発泡酒)ですが、僕は大好きなお酒です^^。興味ある方はこちらから


他にも自分にとって同様の過ごし方ができる場所や時間、休んだり元気を取り戻したり、リセットするための体験をレベルや粒感を気にせずに思いつくまま、ざっと挙げてみると、、、


・近所の温泉(天然温泉&銭湯、どちらも)。マッサージ受けられるとなおよし。空いてるとなおよし

・朝の瞑想、朝のモーニングページの時間(モーニングページについてはこちら

・窓から通りが眺められるお店(カフェや飲食店)で、ぼーっと行き交う人や車を眺めている時間

・大好きな人や仲間と共に過ごす時間。おしゃべりしている時間

・息子も通っている地元の小学校のバスケチームでアシスタントコーチとして子どもたちの相手をしている時間

・年に一度、メンター的な方々に長文のメールを書いている時間

・妻の実家(大分の海沿いののびのびできる場所)、自分の実家(鹿児島の生まれ育った場所)

・広島県福山市(仕事で5年家族と住んだ、思い出いっぱいの瀬戸内らしい暮らしやすい街)

・ハワイのハワイ島(じぶんが素のままで元気でいられる場所として、これからの仕事や活動の場の一つとして、自分がこの歳にして生まれ変わった場所として、生きる地球を体感できる場所として、その象徴として、日系移民の歴史を知る街として、大自然を照らし出す光の良さを体感する場として)

などなど、、、

(写真はハワイ島で出会った亀さん。今日は亀さん縛りってことで。大切にされてるからか、人がいても全く逃げないんですよねー)


上記リストを書きながら、自分にとっては、どうやらリトリートとは、「心の第3の場所」(自宅・職場に続く、第3の居場所)を持つことに相当するようです。

そこに自分の身を浸すことは、リアルな身体活動と密接に結びつき、体からヒントを得て心に気づき、心が訴えていることを拾って体を動かす、という大切にしたい連環のプロセスの「入り口」のような存在に思えて来ました。当たり前ですがつくづく体と心は繋がっていて、影響しあって、相互に愛おしい存在なのですねえ。

そういう場を日常にたくさん持っているのだなあと再発見。最近の自分の主観的幸福度の高さは、こういう場と時間のおかげでもあるのだなあと腑に落ちました。そこからインスピレーションや知恵をいただくし、モチベーションリソースを再確認するし、ご縁のある方と出会ったりするのです。


皆さんにとって、「心の第3の場所」として、日頃感じている場所や時間はどう行った体験でしょうか。その際にはどういった「身体経験」が伴っているでしょうか。または伴っていないでしょうか。そういった自分なりの「リトリート」な時間の際に、心と体はどう作用しあっているでしょうか。


また、我々が何をやるか、どう関わるか、だけでなく、我々自身が「どうあるのか」が大事かなとも感じています。もちろん中身(その場に来てもらって体験できること)は大事。でもその中身を無理なくいいものにするために、自分自身の中身・あり方に注目し続けること、気づき続けること(マインドフルにいること:ネガティブもポジティブも)が大切な気がしているのです。

なぜなら、場作りにおいて、その場を創り出す主体者の「ありたいあり方」に反応して、参加者の皆さんにとっての意味や体験は共創されていく(化学反応が起きたり、起きなかったり、、、、その場で必要とされる事が起こっていくので、それも参加者のあり方に牽引されて場が立ち上がるイメージ)、と感じてるから、なのかもなー、と。

行為・行動・具体(doing:したい事や、やり方)だけでなく、背景・文脈・感情・抽象(being:あり方)にも注目して、自分自身、進んでいきたいと思っています。参加者も主催者も、身体活動(ヨガやダイアローグ)を通じて、心に気づき、言語化し、シェアする事で、ありたい姿を理解して、ありたい自分の状態を理解して、そこに近づける場でありたいと思っています。


7月1日、15日、29日の10時〜13時、3回シリーズのマインドフルネスヨガ&マインドフルネスダイアローグを共に過ごす「代官山リトリート」にてお待ちしております。

(「代官山リトリート」の詳細&お申し込みはこちらから↓ 残席1。ご興味持っていただいた方はお早めに^^)

【代官山リトリート】
体と心のマインドフルネスヨガ&ダイアローグ


(親の真似事をする次男。今はバスケットボールに夢中です)

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