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伝えるツールは誰のため?

昨日の朝から末っ子マナが耳に違和感ある、と言い始めました。
最初は詰まった感じ、その後、音が響く感じ、、。
そう言えば、一昨日は頭痛もするって言っていたなぁ。
嫌な予感。
めまいはないみたいなので、メニエールではなさそう。突発性難聴の初期症状にそっくり。だとしたら、1日でも早い方が良い、ということで急遽、ネットで耳鼻科検索。便利な時代です。

すると、駅近くの耳鼻科が
・日曜日も診察
・初診でもwebで予約可
・webで事前問診票記入
という、ナイスな状況で、しかも、1枠のみ空きがあったので即予約!したのが昨夜のことでした。


そして、先ほど受診してきました。
前を通ることは何度もあったけれど、初めての病院。ドキドキです。
30分ごとの予約のためか、待合室もそれほど混雑しておらず、ソファもしっかりアクリル板で仕切られていて安心して待つことができました。

スタッフ、ドクターがマスク外せないことは当然想定できたので、話を聞くためにダンナも同行。
もちろん私が聞こえないことは問診票に記入済みです。

簡単な診察のあと、検査とかして、再度、診察台に…私たちも出していただいたイスに着席。
が、やはりマスク越しでは話が理解できず、ダンナもマナも、先生の話を私に伝えてくれようとするけど、専門用語もあって、なかなかうまくいきません。

そもそも普段の家族での会話も手話とかより口話がメイン。他の方との会話の通訳的なこともリスピークで口を読むことが多いのですが、やはり、狭い場所でマスクは外しづらく、思うように伝わりません。
では、、と私がスマホを出してUDトークを起動しようとしたら、それよりも前に先生が手のひらサイズの機材を取り出して、話しかけだした!

ポケトークでした!

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差し出された画面には先生の話が英語と日本語で表示。
ふだん、外国人の患者さんのために使ってるのかもしれません。それを使おうと思い立ってくれたのです。

これまで私からudトーク出すことは多々あれど、ドクター側から出されたことはUDトークもポケトークでも初めて!

だいたいこういう時はUDトークを出しても、聞こえる家族に向けて話をされてしまうことが多い、、というか、ほとんどがそう。
「私」が相手なのに、聞こえない私を相手にする手間をかけるよりも、簡単に伝わる相手に伝えてすませようとするのです。たとえそれが幼い子どもだったとしても。

でも、今回みたいに耳鼻科、とか、聞こえ、とか、耳鳴り、それに関する薬や治療とかは、私の専門?だし、家族の誰よりも分かっているのです。
だから、私が話を聞きたかったし、必要なら質問もしたいと思ってました。
ドクターもそう考えてくれたのか、きちんと「私」に伝えようとしてくれたのです!!

嬉しかった!!
自分に向けて話してくれる、自分に伝えてようとしてくれる、
ただそれだけのことが、こんなに嬉しい!!

「きちんと伝える」ということをきちんと考えてくださる先生なんだな。
そう思いました。

UDトーク開発者のAさんがいつも「アクセシビリティは能動的に」とか「UDトークは話す側が使うもの」っておっしゃってます。

つまり、音声を字幕にするツールは、話を聞く側(受け側)が「きちんと聞きたい」と思って使うツールだと考えられているけど、実は話をする側が「きちんと伝える」ために使うツールでもある、ということ。

そういう意味では、もしかしたらポケトークは、そもそもが、海外旅行とかで何かを伝えたいときに、これを使えば英語になります、みたいに「伝えるためのツール」として売り出したはず。

でも、「情報アクセシビリティ」とか、「情報保障」って括りになると、なぜか急に、「伝えられる側のために」みたいな扱いになってしまう気がします。

実は手話通訳にも同じことが言えます。

一般的に手話通訳は聞こえない人のために、って考えられていますが、実は手話通訳は、聞こえる人のためでもあるのです。
「音声言語を話す人」が自分の話を「手話にして」「聞こえない人に伝える」ために。
そして
「手話を話す人」の話を「音声言語にして」「聞こえる人が聞く」ために。

だって、音声言語しか使えなくて手話のわからない人と、手話しか使えなくて音声言語ができない人とが会話をするときに、手話通訳がいなかったら、困るのは両方ですよね?

たまたま音声言語を話す人が人数的に優位で、それを「当たり前」「スタンダード」としている社会だから、その、当たり前のことができない「音声言語が話せない人」のほうを、「困る人」「支援が必要な人」という「受け身」の扱いをしてるだけ。

「伝える」場面で、両者を対等に考えるなら、手話通訳も、UDトークなどのツールも、「お互いの」意思疎通のために使うものであり、「なんとかして伝えたい」という側が使うツールとも言えるのではないでしょうか。

なんて、小難しく考えたかどうかは別として、少なくともこのドクターは自分が伝えることをしっかり伝えようという意識のある先生なんだ、と思いました。説明の内容だけでなく、「伝えよう」という気持ちも伝わって本当に嬉しかった私です。
マナの耳のことは不安もいっぱいですが、いいドクターとの出会いには感謝したいです。

そして、病院を後にする前にふと気づいたこと。
待合室の中のキッズスペースの一部が、なぜか周りが囲まれた凹みみたいになっていて、一人の男の子がその中でひっくり返って籠っていました。
もしかして、カームダウンスペース??なんて、マナと話してたのだけど、もしそうだとすると、かなりUD感覚をお持ちのドクターなのかもしれない。

※「カームダウンスペース」とは、自閉症や発達障害の方が「パニック」を起こしたときに、落ち着くまで過ごせるよう用意されたスペースのこと。
マンガ「光とともに」が愛読書のマナはその辺、実は詳しかったりします。

エコモ財団「カームダウン・クールダウン Calm down,cool down について」
http://www.ecomo.or.jp/barrierfree/pictogram/calmdown-cooldown/

話しが広がりすぎたかもしれません。
つい、熱くなってしまいます。

で!
最後にやはり残念なこともご報告。
以前、かかったことがある、耳鼻科もそこそこ有名、ということで紹介状を書いていただいた大学病院。
予約は当然のように「電話」のみでした。
「平日」+「昼間」+「電話」=ハードル高し。

どうすっかなぁ、って感じです。
やっぱり「誰かに頼む」ことになるんですよね。
頼むことは嫌ではないし、きっと喜んで手助けしてくださる友人もいてくれます。

けど、やはり、なんか、ね。
ドクター1人の町医者でもできてることを大学病院みたいな、人手もお金もシステムもあるはずの大きなところができないなんて、、、。
それは技術の問題じゃなくて、「意識」の問題なんですよね。残念です。


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