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「合理的」と「過重負担」の線引きの曖昧さが生んだ軋轢…でもね

車いす使用者である女性が映画館での対応に傷ついた、というXへの投稿が大きな騒ぎになっています。
誹謗中傷とも言えるコメントが殺到したようで、現在、その投稿のみならず、アカウント自体を非公開にされてしまってます。

わたしはまだ公開されていたタイミングで元の投稿やその後の投稿、そしてそこに寄せられた多くの、、そして激しいコメントも読んでました。

そして、映画館側が「お詫び」のコメントを出してからはさらに彼女への非難の声が大きく強くなっていき、ご本人の胸の内を想像して、苦しくなりました。

だって、そもそも最初は、「今まで何度か行って鑑賞することができていた映画館で、今度からは別のところで観た方がよいのでは?と言われて悲しかった」という、至極普通のつぶやきだったので。

当たり前の願いも迷惑?

「わざわざそんなシアターに行かず、普通の車いす席で見ればいいだろう」
「経験も資格もないスタッフにリスクを負わせるな」
「わがままだ、弁えろ」
「障害者だからって何様?」

詳しい事情も分かってない第三者が、執拗に投げかける強い非難の声。
私自身、障害当事者として日々感じたことや経験したことを発信しているので、我が事のように感じ、恐ろしくなってしまいました。

でも、、、責め立ててる人たちにちょっと考えて欲しいのです。

皆さんを含め、多くの人は行きたい時に行きたい映画館で、映画を観ますよね?
今日は給料出た後でちょっとリッチだし、体も楽にしたいから、プレミアムシートにしちゃおうって奮発することもありますよね?

彼女だって、同じなんじゃないかな?
都合のいい時間の上映がたまたま(段差のある)グランシアターだった。
足伸ばして座れる楽チンなプレミアムシートがいいな。
そう思ったわけです。
ただそれだけ。
実際、彼女はこれまでもそこで鑑賞したことがあり、その日も鑑賞したのです。

ただ、彼女は車いすを使っているため、2足歩行な人のことしか想定していないシアターの段差がバリアになり、それをクリアするためにスタッフの手を借りた、ということ。
つまり、すべては、車いすでアプローチできないシアターの構造が原因なわけです。
彼女が介助者を連れてこないことが原因でもないし、そもそも彼女がそこで映画を見ようと願ったことが悪いわけでもないのです。
障害があったって、映画を観にいく権利も、好きなシート(ランク)を選ぶ自由だってあるはずなのに。
その「段差」が「障害者」を「障害者」たらしめているわけで、それが私もこれまでひつこいほど語っている「障害の社会モデル」の考え方。

「障害の社会モデル」とは、「障害」は個人の心身機能の障害と社会的障壁の相互作用によって創り出されているものであり、社会的障壁を取り除くのは社会の責務である、とする考え方

「ユニバーサルデザイン2020行動計画」より

このケースで言えば、「シアターの段差のある構造」が社会的障壁です。(障害者は引っ込んでいろ!みたいな社会の目も障壁と言えますが。)
なのに、彼女の「ここで映画を観たい」という、至極当たり前の気持ちを「わがまま」と言ってしまう声の多さ、大きさに胸が潰れる思いです。

ここでカギになるの今年の4月から「障害者差別解消法」の「合理的配慮の提供」が民間事業者でも義務化されるという点。

簡単にいえば、障害のない人が当たり前に、簡単に利用できるのに、障害のある人には利用しづらかったり利用できかったりする設備やサービスにおいて、障害のある人から「バリアを取り除いてほしい」と意思表示された場合は、負担が過重でない範囲で、バリアを取り除くために必要かつ合理的な対応をする、ということ。
そのような配慮の提供がこの春から民間の事業者も義務になるってことなのです。

ただねー、これがまた微妙なんですよね。

「合理的」って何?
「過重な負担」ってどこから?

かなり曖昧。
今回のケースでいえば、彼女が段差を越えるためのサポートは「合理的配慮」の範疇なのか。
スタッフが車いすを持ち上げることは「過重な負担」なのか。
その線引きは、誰がどう判断するの?ということが曖昧。

だから、「経験もない素人のスタッフに車いす介助させるなんてひどい!」という責めになってしまいます。

そもそも問題なのは…

ただね、すごーく残念なことは、非難する人の多くが、「段差があるんだから、彼女がこのシアターを使えないことは仕方ない」と言ってること。
段差があること」に疑問を呈する人がほとんどいない。
そもそも、段差さえなければ、彼女は自由にシートを選べるし、スタッフが車いすを持ち上げる負担やリスクを負う必要もない。
なのに、「段差がある」こと自体が、許容されちゃってる。
段差のないアクセシブルな施設を目指すべき。
誰もが使いやすい施設を目指すべき。
そういう視点が足りない気がするのです。

そうなると、
「それは理想論だろ。そんな施設を造る、あるいは整える負担を事業者に負わせるのか!」
ってことになるのかな?
今回もスタッフ増員の負担をシアターに負わせるのか!っていう論調もありました。

うーーん。
ならば、その負担を少しでも軽減するような国から事業者にむけたサポートがあればいいんじゃないかな、と思うのです。
国は「義務化」して、「やれ!」「やらなきゃいけない!」と押し付けるだけでなく、「合理的配慮」を提供するために必要なコストを国がサポートしてくれれば、、。
そういう指摘ってほとんどないように思いました。
全ては彼女(障害者)のわがままって感じで。残念すぎ。

建設的対話

私は障害当事者であり、障害ゆえの不利益を味わうことも多い立場として、逆に心身に障害(不具合)がない人たちは自分たちが無自覚なうちに優遇されていることに気づいてない、ということを以前、noteにも書きました。

でもこういう立場の違いで「私だって大変」「こっちだって大変」と言い合ってしまうことは、結局何も生み出さない。いや、分断を生むだけ。

「障害を持つ人が障害のない人と同じように自由に選択し、自由に行動できる」
「事業者(社会)の側が負担やリスクを負うこともなくそれに応じられる」
残念ながらそれは実際問題として成り立ちがたいのが現状。

だからそこで必要になるのが「建設的対話」となるわけです。

その時間は人手が足りないから、他の時間帯ならどうか。
車いすを持ち上げることがリスクなら、他に段差解消する方法はないか。

片方の要望や事情を押し付けるのではなく、お互いの希望や事情をすり合わせて、お互い良い形を選ぶための対話。

そう考えると、「他のシアターで」ということだって、このシアターでの鑑賞を拒否するのではなく、別の方法(選択肢)の提案と受け止められればこんなことにならなかったのでは?

建設的な対話、、本当の理解は、そこから始まるんじゃないかな、と思うのです。
法律は後ろ盾にはなるけれど、それだけじゃ変わらないってこと、補助犬法ができて20年経っても同伴拒否がなくならないことで、痛感してるからこそ、ね。

私もクレーマー?

ともあれ、攻撃的な言葉はどんどん広がり、彼女のこれまでのチャレンジまで非難するところまで広がってます。
バリアがあることが当たり前みたいに受け入れられてて、事業者の負担を思いやる発言は多いのに、障害者側が自由に行動できない、選べない、ということに対して、慮ってくれる発言がほとんどないのが哀しい。

何より私自身、「私もクレーマーなのかも」と思えてくるのです。

映画の舞台挨拶が当たった、けれど情報保障がないと私には話が理解できない→配給会社や劇場に「なんとかならないか」と問い合わせしちゃったし。あちらにしたらいい迷惑?

東京ドームで聴導犬同伴は他の人とは違うところへ迂回して入場だからそのまま待つように言われて「大丈夫です!」と、仲間と一緒に普通に入場したり。

国立競技場で、聴導犬と一緒に入場してからずっと、インカムで通報しあって後をついてくるスタッフの尾行をまいちゃったり。

ホテルなどに聴導犬同伴を事前に伝えることはありますが、それは「法律で認められていても拒否されることがあるための予防線」であり、受け入れる側への配慮や心配りというより、自分のため。もし「事前に伝えてなかったのだから拒否されても当然」と言われたら、断固闘いますね。

振り返れば、私も今回の彼女と同じような「事業者側のことを顧みないひどいこと」をしてるのかもしれません。

区立体育館のプールで休憩時や緊急時のアナウンスが聞こえないってことを体育館にお願いしたら、掲示してくれるようになった時も、もしかしてカスハラと思われてたのかな。

でも、やっぱり諦めたくない

障害があっても、行きたいところに行きたいし、好きなものを食べたいし、好きなものを楽しみたい。
事前に伝えておかなくても、「ちょっと時間空いたから」って映画観にいきたい。
興味あるイベントや講習を気軽にポチって申込んで参加したい。…他の人たちが当たり前にやっているように。

それが無理でも、せめて、そんなことすらできずにいる人がいるんだよ、ってことだけでも知ってもらい、こうしたら一緒に楽しめるんじゃね?ってことも考えてもらいたい。
知ってもらわなければ、いつまでたっても変わらないから。

でも、これはワガママなのでしょうか。
「障害者なんだから我慢するのは当然」なのでしょうか。

障害者が障害のない人と同じように自分らしく生きたいと願っても、それは社会の負担になるから我慢すべき、なのでしょうか。

今回のシアターの件も、以前JR利用で話題になってしまった女性の場合も、もっと上手くやればいいのになぁ、とは思いつつ、社会の壁が障害者を障害者にしている、ということを理解してもらうのって難しいし、そのためにアクション起こすことって受け止められ方によっては、かなりリスキーだな、と思う私です。

…でも、諦めたくないな、アクセシブルな社会…建物にも、情報にも、どんな人でも(方法は違っても)等しくアクセスできる社会を。


ともあれ今回の騒動は映画館の構造上の問題がきっかけ。
せめてこれから建設される施設はアクセシブルになってほしい。そうしたらこんなことは起きないはずだから。

ということで、、、帝国劇場改修に向けての署名活動、まだ継続しています。ぜひご協力を!!

「劇場をアクセシブルに 鑑賞に障害がある人もない人も一緒に楽しめる劇場を作ってください!!」
https://www.change.org/AccessibleTheatre

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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またお越しください!

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いただいたサポートは私の人生を支えてくれた聴導犬をはじめ、補助犬の理解啓発のための活動に生かさせていただきます。