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想像してみれば、、

某省庁によるUDに関する会議で、構成員であるにも関わらず「参加させてもらえなかった」件については、正式に申し入れをすることになりました。
何度も書いていますが、今回、zoomの設定や音声認識が事務局(と業者)のミスで上手くいかなかったこと自体を問題にしているわけではありません。
そういう失敗は(あってほしくないけど)起こりうることだから。

それよりも、「情報保障が提供されなかったために、私が会議に参加できなかった」ということをかなり「軽く」考えていることに対して抗議したい、そして改善してほしいからなのです。

あーぁ、めんどくさっ。
全文書かれた議事録読めば内容分かるんだから、それでいいじゃん。
そんなこと言って、わざわざ反感買うようなことしなきゃいいのに。
そもそも相手に迷惑かけないよう、自分で何かしら準備しとけば、良かったんじゃない?

そんなふうに言われるかもしれません。

そう考えると、前回、書いた車イスのコラムニストの乗車問題と被る点が多いなぁと思うようになりました。
そこで彼女が改めてインタビューに答えた記事を読みました。

「わきまえる障害者になりたくない」JR東の対応に声上げた、車いすの伊是名夏子さん 

https://globe.asahi.com/article/14328819 

うーん、なるほどね。
ブログだけでは誤解を呼びかねなかった点も詳しく答えていらっしゃいます。

その中で彼女は同じ障害者から批判されたのが一番ショックだった、と書かれてました。
でも私は、むしろ逆。
彼女のアクションに対しての障害者の反応は賛否両論、、むしろ「否」が多いのでは?と思いました。現に私も最初は、「えー!なんで?」って思ってしまいましたし。

昔の障害者は今よりもっと厳しい環境におかれていました。存在を隠されていたり、子孫を残さないように強制的に処置されたり。
実は今でもまだ「障害は恥ずかしいもの、隠すもの、障害者は憐れみの対象」っていう考えは、根強く残っています。

そんな中、多くの障害者は、この暮らしにくい社会の中で、なんとか上手く生きていくために、すごーく頑張っているのです。マイノリティゆえに、我慢したり、妥協したり、「お荷物」だと思われないように、頑張ることもあります。そうやって少しずつ社会の中での居場所を増やし、理解を広め、少しずつ暮らしやすくなってきてる、と思っているのです。

だから、彼女のように声高く戦って、反感を買うようなやり方は、自分たちが今、一所懸命やってることを壊してしまうのではないか、健常者と障害者の間にまた壁を作ってしまうのではないか、と不安になってもしかたないからです。

だから私は、
「事前に連絡すればお互い嫌な思いをせずに済んだのに」
「ともあれ、何時間遅れでも乗れたんだから、良しとしろ」
という声が、同じ苦労をしている障害者側から出るのは「アリ」だと思うのです。
「もっと上手くやろーよ」と。

でも、日頃、何不自由なく公共交通機関を利用している人たちが、いとも簡単にその言葉を言うことには、なんとなく納得できないのです。

「事前に連絡すれば済むこと」
そう言っている人は、想像してみてほしい。
電車に乗るたび、乗る駅、乗り換えの駅、行く先の駅の構造を調べ、確かめ、乗る電車を決めて、事前に連絡をしなきゃいけない。
「寝坊しちゃったから1本遅らせよう」
「早く駅に着いたから、早い電車で行こう」なんて自由もないとしたら、、。
「自由に電車に乗って出かけたい」というだけで「わがまま」と言われてしまうとしたら、、。

「手助けが必要なんだからしかたないだろ」って?
手助けがいらない構造だったら手助けはいらないんです。そういう駅を作ってくれればいいんです。でもそうじゃないから手助けが必要なんです。

結局は、こういうことって「想像する力」が大事なのではないかな。

伊是名さんの旅でいえば、
彼女自身も自分がそこに行く場合、何が困りそう?急に駅員さんを集めて!って言ったら、駅の人は困るかな?と。

駅員さんも、「ご案内できません」つまり「乗せられません」って言われたら、伊是名さんは困るんじゃないかな?と。

非難する人たちは、自分がもし同じ立場だったら?車イスのせいであれこれ制限されたら?
ただ「当たり前に生きたい」だけなのに、「わがまま」と言われてしまったら?


「相手の立場になりなさい」
小さい時からよく言われる言葉。
でも実際は相手の立場になることなんて、できない。だからこそ、いかに「想像できるか」が大事。

信号を渡る時、「目が見えなかったら?」
アナウンスを聞いた時、「耳が聞こえなかったら?」
駅の階段を登る時、「車イスだったら?」

付け焼き刃の法律とかルールじゃなくて、(それも必要だけど)人々がそういう想像を巡らせながら、「いろいろな立場」に想いがゆけば、社会は変わるのかな。

あなたが今、誰の手も借りずに、困らずに毎日を普通に暮らしているとしたら、それは、「見えて、聴こえて、歩ける人用」に用意された社会だから。
そんな特別待遇で暮らしているんだって、気づいて欲しいなぁ。

また長くなっちゃいました。
 

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