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字幕メガネから考えた理想

生来の映画、ミュージカル、ドラマ好きな私。
聞こえなくなって、字幕がないと楽しめなくなりました。
映画は洋画、舞台はブロードウェイとか海外からのもの、テレビドラマもDVD化されて日本語字幕が付いたもの、などに限定されるように。
子どもが生まれて、「プリキュア」「ポケモン」映画を見に行くっていう時も、ほとんどのお友達がママと行くのに、うちはパパと。
ガタイのいいパパがプリキュアを見てるって、想像するだけで笑えますが。
そういえば、ハム太郎とかも見に行ってもらいました。

で、そうこうするうちに、テレビがデジタル化されまして、、、。
字幕の付く番組がどどーんと増えまして。

それまでバラエティなども、「テロップ」でなんとなく内容を想像して、なんとなく話を合わせて、なんとなく一緒に笑ったりしていたけれど、字幕がつくことで、ちゃーんと理解できる!笑える!泣ける!

ビバ!デジタル化!!  でした。

そして、映画。
これまでも何度か書いてますが、私の最初の字幕メガネ体験は「舞妓はレディ
東京国際映画祭の特別上映で、「映画の未来〜新しい映画鑑賞システムを体験」企画で、当時画期的だった、メガネ型ヘッドマウントディスプレイ!として観たのでした。
改めて調べたら、それは2014年。
残ってましたよ、ブログ!!

映画の未来 - つまま・エリのお気ままブログ
http://boomio.blog.fc2.com/blog-entry-672.html/
(ちゃっかり周防監督と写真撮らせていただいてたこと、思い出しました。ぶーちゃんも元気!)

その後は、期間や上映時間限定、映画館限定で、焼き付けの日本語字幕付きの映画を見に行ってました。
シンゴジラやコードブルーを見に川崎や立川まで行ったり、、。
観たい映画を選んで観る、というより、字幕付き上映の場所と時間が合わせられるものを観に行く、って感じでした。

そこまでしてもやっぱり映画をスクリーンで見たい私なのですが、実は家から歩いて数分のところに東映東京撮影所があります。

東映撮影所入り口。

その撮影所の並びにはシアター9つ抱えるでっかい映画館があるのですが、それなのに観たい映画を自由に見れない不自由さ、DVD化を待たねばならない不自由を感じていました。

それが大きく変わったのが2019年。
MASC(NPOメディア・アクセス・サポートセンター)  さんからモニター募集があって、飛びついた私の手元に字幕メガネMoverioが届いたのです。

EPSONの箱とモベリオ一式。レンタル品。

自分でmoverioを持つことで、貸し出しをしている映画館へわざわざ行かなくても、近所の映画館で見れる!
フッと思い立ったら、朝イチでも夜でも観に行ける!

コロナ禍で劇場が閉鎖されたり、、と制限はありましたが、字幕メガネ対応映画もどんどん増え、鑑賞機会も増えました。

で!
ただいま絶賛公開中の「劇場版TOKYO MER」へ!
地上波放送のときもどっぷりハマったドラマ。
劇場版公開前のSPドラマもしっかり観てから、GW真ん中の平日に、いざ出動!!

もちろん字幕メガネと、チャンプがお供です。

客席足元のチャンプと、字幕メガネ一式

まだ公開したばかりってことで、朝イチの回なのにけっこうお客さん入っていました。

隣家の義父の食事を用意するようになって、義父の「今日は会社行かない」発言があれば、朝ご飯出してからお昼出すまでしか自由に動けないし、予定がいつ変わるか分からないので、こーやって、思い立ってすぐ、しかも近所で映画を見られることの喜び!この自由!!

ほんと、ありがたや!!

いろいろな技術の進歩は、多くの人に恩恵をもたらします。
これまでもできていた人たちも、より便利になったり、これまでできずにいた人たちが、できるようになったり、、と。
それはやはり「こうだったらいいな」という気づきや願いがきっかけになるのではないでしょうか。

ほんと、字幕メガネシステムを作ってくれた人、神!

…と、こんなにも激推しの字幕メガネですが、「重い」「めんどくさい」などの声があるのも事実です。
私は、映画が自由に観れる喜びの方が大きいので、苦にならないのですが、確かに、なんの準備もせず、何も装着することもなく観ることに比べたら、確かにメガネは重いですし、事前にデータダウンロードなどの手間も掛かります。
でも、だからイコール「使えねーな」としてしまったら、、、。
使う人が少ないから、貸出する映画館も減る。
借りれる映画館が少ないから、さらに使う人も減る。
字幕で鑑賞する人が少ないから、対応する映画も減らされていく。
需要が減るということでデバイスの改良も進まない。

想像するだけで、残念すぎます。

技術は、実際に使われることによって、より磨かれ、より進化していくのだと思います。だから、現状、不都合や不具合があるとしても、即「使えねー」じゃなく、「こうだったらより良くなる」というふうに、考えていく必要があるのではないでしょうか。
(音声認識アプリもそうですが、推しアプリ、推し手段以外を悪しく言ったりするのではなく、ユーザーが「使う」ことで、こーだったらいいな、という声をあげ、開発者がその声に耳を傾け、さらに良いものにしていくという形で、開発者と使用者がタッグを組んでいけばいいのにな、といつも思います。
そうしたら、使用者も恩恵を受けるばかりでなく、ある意味、技術の発展に寄与できると思うのですが、なんか不具合や不便があると文句ばっかり、、の例もけっこう多くて、残念な限りです)


ともあれ字幕メガネは、「定型」の人が耳で聞く日本語のセリフを、文字で見ることができるようにしてくれ、それにより私は「映画を見る」という点において「障害」者ではなくなるのです。
(障害者割引で鑑賞したことに罪悪感、持ってしまいますが 笑)

見えて聴こえて歩けるという、大多数を占める「定型」な人々を基準に作られた環境(社会)の中では、私たちのように、聴こえない、あるいは見えない、歩けない、、etc、そういう「違い」があると、不自由や不便を感じることがいくつも出てきます。そして、それが「障害」となります。

でも、「定型」ってなんなんでしょう。

「人が移動する手段」として「2本足」を「定型」とした町には階段も段差もたくさんあるでしょう。そんな中で、足ではなく車いすを使う人はあちこちでバリアーに遭遇することになります。
でも、「移動に、足を使う、車いすを使う、杖を使う、、」を「定型」とした町なら、スロープやエスカレーター、エレベーターがあって、階段を使えない人はエレベーターという手段で移動することができ、なんら困ることはなくなります。

つまり「定型」の幅が広がれば広がるほど、不自由や不便を感じる人たちが減り、より多くの人たちにとって暮らしやすい社会になるのだと思うのです。

いろんな人がいるということ。
自分の当たり前が、他の人にとっても当たり前とは限らないということ。
みんな違いを持ってて、その違いを認め合うということ。
結局は、これなんですよねー。

相手の気持ちを推し測り、理解し、受け止め、包み込んでくれる人を「懐が深い人」っていうじゃないですか?どんな人をも、両腕を広げて、「大丈夫だよ!」って、ドーンと受け止めてくれる、、、そんな「懐が深い」社会になるといいなぁ、、、。


字幕メガネで映画観た話が無限に広がっていきそうなので、最後に、爆睡明けの寝ぼけ眼チャンプをお見せして、今日はこの辺で。

パネルのMERの皆さんカッケーけど、ボクだって負けてないぜ!のお寝ぼけチャンプ

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