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目からウロコ、、ちょっと希望と悩みと

全難聴関東ブロック研修会がオンラインで開催されました。

難聴の診断と治療 ~最新の話題から~
講師:宇佐美真一先生
信州大学 名誉教授・信州大学医学部人工聴覚器学講座 特任教授



非会員ではありますが、参加してみました。
すんごい勉強になりました。

自分がすんごく取り残されていることも痛感。
自分自身の覚書も兼ねて、書いてみようと思います。

遺伝子診断について

遺伝子イラスト

長男が小学校に入学後、聞こえに少し問題があると言われ受診した帝京大病院で、遺伝子検査も受けました。
結果、「難聴に関わるような遺伝子は見つかりませんでした。

でも当時は「すべての遺伝子が分かるわけではないので、今回わからなかった部分に(難聴要素が)ある可能性もある」という曖昧な説明で、安心していいやら、不安やら。
もっと詳しく調べたかったら、信州大病院へ、とも言われました。
でもその時は、「原因がわかったところで、どーなるわけでもない。今後、状況を適宜、確認しながら対応していけばいい」ってことで、信大へは行かないままになりました。

そんな難聴の遺伝子研究の最先端?の信大で長く研究・臨床にあたっていらした宇佐美先生のお話は、本当に眼から鱗、でした。(あの時、受診してたら、宇佐美先生と出会って、何か変わってた、、かもしれない、、)

何より、「難聴は診断名ではなく、症状の名前」というお言葉!!

「頭が痛い」=症状
  ↓
原因を調べて治療、というのと同じように

「難聴」=聞こえにくい、聞こえないという「症状」なのだから、その原因がどこにあるのか、をはっきりさせなきゃ、治療につながらないってこと。

聞こえにくい、聞こえない、だから補聴器、だから人工内耳、っていうのではなく、
原因は何か、
遺伝子が関係しているか否か、
どの遺伝子が関係してるのか、
それによって、内耳のどこに障害があるのか、がわかるとのこと。
そして、その遺伝子そのものの治療ができなくても、その原因遺伝子に応じた正しい診断、予後予測、進行の予防など、こまめな医療に繋げられるそうです。

人工内耳が適応するのか、補聴器がいいのか
どんな人工内耳(補聴器)が良いのか
それらも原因がわからなきゃ、正しい判断はできないっていうことですね。
なるほど!!

「遺伝」という言葉

「遺伝」っていうと、どうしても「親の」「私の」せいって考えてしまって、見ないふりしてきた気がします。
私は生まれつきじゃなくて、成長してから聞こえなくなったんだし、ってことも一つの言い訳にして、、。

でも「遺伝」と言っても、家族の中でうつる、みたいな感じではなく、「遺伝子」が関与している、という意味で捉えられているそうです。
そして、どんな人でも数個〜数十種類の、病気の原因になる変異遺伝子を持ってて、難聴の原因遺伝子は比較的多くの人が持ってるとのこと。

だから「私の難聴が子どもにうつった」みたいに考えなくてもいいのかな、なんてこともちょっと思えました。(拡大解釈かもしれないけど)

ともかく、私の難聴自体が、思い当たることが他にないから「小さい時の高熱が原因に違いない」ってお医者さんに言われたことを鵜呑みにしてきたけれど、それだって、何かしらの遺伝子が熱や薬に反応して難聴という症状を出したのかもしれない。

人間はだいたい2万種くらいの遺伝子を持ってて、今は、その全ての遺伝子を調べられるようになってるらしいので、改めて、ちゃんと調べてみたいな、と思いました。

人工内耳

30年くらい前、東京医大の船坂先生の診察を受けた時、勧められた人工内耳。

当時はまだ数例しか実施例がなくて、保険も効きませんでした。
頭の手術だし、怖いし、不安だし、、ってことで見送り。
その後も、何度か「考えてみませんか?」と言われるものの、踏み切らないままこの年まできました。

その後、保険適用になり、今では世界で90万人、日本でも2万人が装用し、年に1000人以上が手術を受けてるのこと。
うわぁ、私の知らない間にこんなことになってるとは!
昔は、
音を知らない、先天性の難聴の子供には適してるけど、中途だと慣れるまで大変
とか
中途失聴だと、音を覚えているから、全く違う音になって戸惑う
とか
そんな噂とか思い込みとか、そーゆーのばかりでした。
でも今は、残存能力活用型人工内耳(EAS)っていうものがあって、補聴器と人工内耳の機能を兼ね添えた人工内耳もあるそうです。

やっばいなぁ、科学技術の進化!!
やっばいなぁ、なーんも知らなかった私!

もうこんな年だし、、という気持ちもありますが、先生の経験では80代の方が人工内耳の手術を受けた例もあるとか。
聞こえの悪さは、認知にもつながる、って言われるし、なんか、ちょっと調べて見たい気持ちがムクムクと湧いてきてしまいました。

障害受容

聞こえない年月の方が、聞こえていた年月よりずっと長くなってしまいました。
子どもたちにとっては私は「聞こえない」のが普通。
聞こえなくても困らずに日常生活を送れるように、口話や手話などのコミニュケーション方法や音声認識などのツール、そして何より聴導犬との暮らしを得て、「聞こえない私」を受け入れてきたつもりでした。

でもやっぱり「聴きたいな」「聞こえたいな」という気持ちがなくなったわけではありません。

不自由だから、とか、不便だから、とか、そーゆーことよりも、単純に、

子どもたちの声が聞きたいな、とか。
音楽を聴きたいな、とか。
今だったら、まさにピンポイントで
ウエスト・サイド・ストーリーの歌を聴きたいな、とか。(リメイク版が本日公開です!)

そういう気持ちは、聞こえなくなって何年経っても、きっと変わらないと思います。
そして、もしかしたら、それが可能になるかも??ってことを知ってしまったら、やはり、動きたくなります。

「聞こえない自分をそのまま受け入れる」ことを障害受容というならば、私はまだ受容できてないのかもしれません。
障害受容=諦めること、なのでしょうか。
諦めきれず、もがくことは、受容の対極になるのでしょうか。

うーん。

ろう者としても聴者としてもアイデンティティを持てない私。
私はいったい、どうありたいんだろう。

今回の研修は、多くのことを知った喜びと、新しい迷いをもたらしてくれる機会となりました。

でも「知らないまま」でやり過ごすよりも、「知った」上での選択肢で迷う方がいい、という気持ちは変わりません。

ゆっくり考えよう、、

いただいたサポートは私の人生を支えてくれた聴導犬をはじめ、補助犬の理解啓発のための活動に生かさせていただきます。