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本屋プラグのためにならない読書⑪

 ――第二次世界大戦下の1944(昭和19)年3月。日本の戦争継続に不可欠な水銀購入の密命を受けた海軍中佐の関谷は、購入資金の金塊を手に、ドイツを経由し中立国スイスを目指す。

 ところが、ドイツで彼を迎えるはずのベルリン駐在武官は、休暇先のスイスのローザンヌに近いレマン湖畔で水死体となって発見されたと聞かされる。兵学校の同期で親友でもあった駐在武官の死を訝(いぶか)りながらも、ベルリンからスイスへ向かった関谷だが、ドイツとの国境の町シャフハウゼンで連合国側による爆撃に巻き込まれ、その騒乱の最中、金塊の入ったトランクを何者かに奪われてしまう。


 奪われた金塊の手がかりを追い求め、物語はローザンヌのレマン湖、そしてスイス最大の町チューリヒへ。しかし、行く先々で関谷を待ち受けるのはナチスドイツにソ連、アメリカ、中国など、さまざまな思惑で暗躍する各国の諜報(ちょうほう)員たち。そして、関係者の相次ぐ不審死。果たして関谷は、誰が味方で誰が敵か分からない異国の地で、無事に金塊を取り戻し、水銀購入という密命を果たすことができるのか――。

 以上は3月3日、肝臓がんのため91歳で亡くなった作家の西村京太郎さんが、1966年に発表した長編第3作『D機関情報』の粗筋だ。

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 時刻表トリックを用いたトラベルミステリーの第一人者として知られる西村さんだが、本作は大戦末期のヨーロッパが舞台の、国際的なスパイ小説であり、史実を巧みに織り込んだ歴史ミステリーでもある。例えば物語の前半、国境の町で関谷が巻き込まれる爆撃は、1944年4月1日、連合国側の爆撃部隊が目的地を誤り、中立国であるはずのスイスのシャフハウゼンに焼夷(しょうい)弾と爆弾を投下し、甚大な被害をもたらした悲劇に基づく。

 もっとも本作の歴史ミステリーとしての何よりの魅力は、この物語が、あり得たかもしれない歴史の可能性を示唆している点だろう。主人公である海軍中佐の関谷は、ヨーロッパの地で日本国内では伝えられない現実の戦況を知ることになる。連合国側によるノルマンディー上陸、そしてサイパン陥落と、刻一刻と悪化していく戦況の中、次第に関谷は、自身に課された密命の正しさを疑い始める。日本は壊滅的な敗戦を迎える前に、戦争の継続を諦め、早急に和平の道を開くべきではないのか。軍人として葛藤する関谷が、どのような決断を下すのかが物語後半のサスペンスとなっていく。

 西村京太郎さん自身が生前、600冊以上の著作の中から自選ベストの一冊に挙げていた本作。物語を通して描かれる、私たちの国が過去に進んだ歴史への反省と、一度起こってしまうと、その終結は容易ではない戦争の愚かさは、発表から半世紀以上たった現在でも切実なメッセージとして届く。

 今こそ、読み返されるべき一冊だ。(本屋プラグ店主 嶋田詔太)

https://mainichi.jp/articles/20220311/ddl/k30/040/299000c

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