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レティシア書房店長日誌

谷山宏典「鷹と生きる」

NHKBS1で、山形で活動する最後の鷹使いを追いかけたドキュメンタリー番組が、少し前に放映されていました。その鷹使い松原英俊の半生を描いた本を入荷しました。谷山宏典著「鷲と生きる」(古書/1400円)です。



著者が松原の自宅を訪問した時のことです。テレビのある居間では、訓練の一環として、松原の腕の上にクマタカが載っているのです。驚いて「鷹が居間にいるって、すごい光景ですよね」と思わず呟くと、
「そうよね、普通そう思いますよね。けど、私たちにとってこれが当たり前の風景なんですよ」という答えが返ってきます。
次に沸き起こる疑問が鷹狩りで生計が成り立つのかです。答えは「No」。松原には妻がいて、子供もいます。どうやって生活を?どうやって鷹を訓練して、狩りをするの?松原英俊という人に魅了されて、その人生に密着していきます。

「私にとって鷹使いとは『鷹とともにある』ということです。それ以上でもそれ以下でもありません。鷹と一緒に生きて、ともに山を歩き、狩りをすることができれば充分なんです。ほかには何もいりません」
電気もガスも水道もない家で鷹とともに寝起きし、自給自足の生活をする。季節労働者として何ヶ月か働き、それ以外は鷹と暮らし、山に入る、世間的価値を捨てた彼にとって、鷹使いとは生き方なのです。

「夫や父親としては最低だと思いますよ」とは妻の多津子の言葉です。妻子より鷹が大事なんて生き方に異議がないわけがありません。しかし、すぐ後に彼女はこう続けます。
「ひとりの人間としては、やっぱり面白いというか、魅力的だと思いますよ。いつまでも自分の夢を追いかけていけるのもすごいなと。私にはそんなことできないですから。特に今、いろいろと世知辛い世の中になっているじゃないですか。そんな厳しい世相の中で、彼のようなおバカさんがひとりぐらいはいてもいいのかな、とも思うんです。まあ、男のロマンは、いつでも女のフマンなんですけどね。」

クマタカと一緒に厳しい冬山に入ってゆく姿を、NHKドキュメンタリーのカメラは見事に捉えていました。人間と猛禽類というより、獣と猛禽類が食べ物を探して彷徨うという感じでした。1950年生まれの松原は、2015年に左目を失明してしまいます。もうこれまでか、と普通なら思うところですが、片目だけでも見えていれば山を歩けるから問題はないと言います。
「片目が見えないことで、私自身が獲物を発見するのは、以前に比べて遅くなったかもしれません。でも、鷹狩の場合、そもそも鷹のほうが人より目がいいわけですし、獲物もたいてい鷹が先に見つけます。鷹の爪がグッと腕に食い込む感覚さえ捉えることができれば、私は獲物に向かって鷹を解き放つことができるのです。」著者は、この言葉に鷹狩の本質に触れたと思います。
「鷹使いにとって、鷹は狩りの道具ではなく、自らの一部。どちらが主で、どちらが従ということではなく、異体同心とも言える関係性を築けてこそ、鷹は鷹使いの腕から飛び立ち、獲物を狩る。」
人と鷹が厳しい大自然の中で、生きてゆく姿を追いかけた充実の伝記です。


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