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レティシア書房店長日誌

柴崎友香「百年と一日」(古書/筑摩書房900円)

 私はこの小説を一気に読みました!面白い!! ショートショート風の、33の物語が並んでいます。それぞれの物語には全く関連はありません。そして各々に異常に長いタイトルが付いています。

 例えば、42ページから始まる話のタイトルはこれ。
「たまたま降りた駅で引っ越し先を決め、商店街の酒屋で働き、配達先の女と知り合い、女がいなくなって引っ越し、別の町に住み着いた男の話」
そして本編はと言うと「遠い街に引っ越した友人を訪ねた帰り、加藤は来たときとは違う路線に乗ってみようとふと思った。その駅は、二つの電鉄会社の乗換駅で、南北に走る路線と、東西に走る路線があった。」という文章で始まります。
 何だろう、この面白さ。ずっと以前に観たフランス映画にパリに住む人たちをスケッチ風に並べたものがありましたが、それに近いかもしれません。数ページの物語が33篇続いていきます。あらすじのような長い題名にある通り、劇的な出来事は何も起こりません。しかし、感情を露わに出すことなく、わずか数ページで描かれる加藤という男の半生にはなぜか奇妙なほどのリアリティーが存在しているのです。生きる時代も場所も違うのに、ひょっとしたらこんな人生を送っていたんじゃないかという、別の自分をふと見せられた気分になってきます。どこにでもある日常を言葉によってつなぎ留めた短い作品に、私の(あなたの)人生の一場面が描かれます。
 「ラーメン屋『未来軒』は、長い間そこにあって、その間に周囲の店がなくなったり、マンションが建ったりして、人が去り、人がやってきた」は、一本の映画になりそうな物語で、最も強く印象に残りました。
 「『未来軒』の裏手は、長屋だった。間口の狭い、そして一階と二階は別の家になっている木造住宅がひしめくように建っていた。向かいの軒がくっつきそうなほどに狭い路地に、玄関の戸ばかりがずらっと並んでいた。日の当たらない路地では、蝋石(ろうせき)で絵を描いたりして遊ぶ子供いたが、たいていはどこかの家のじいさんが座っていた。座面のビニールが破れて中のスポンジが露出した丸椅子をどこかから持ってきて、ほとんど一日中、座っていた。特になにをするわけでもなく、通りかかる人に『こんにちわ』と言うだけだった。暑い時期は肌着姿で、寒くなるとその上にジャンパーを羽織っていた。」
 少年時代(昭和30年代後半から40年代)にタイムスリップした気分でした。ここでは未来軒の二十年後の姿まで描きこまれていますが、実家近くにあったラーメン屋やら、焼き鳥屋を思い出してしまいました。
 淡々と誰かの日常が流れていきます。嬉しいことも悲しいこともすべて流れていくんだな、という諦めのような、それでいてどこかでホッとするような余韻を残してくれる素敵な短編集です。

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