紅色に錆びた爪
古城の寝室。窓際に生けた花。深紅の蝶が蜜を吸う。
「ローラ。もうやめよう」
「厭よ。このままじゃ貴女、干からびてしまうわ」
金髪碧眼の吸血人形は、人間の少女のようにいやいやと首を振った。のしかかる彼女の重みを感じながら、吸血鬼カーミラは小さく息を吐く。
ヴァンプマトンなど造るのではなかった。やはり百七十年前に杭を打たれるべきだった。カーミラの生は二つの後悔の繰り返しだ。そろそろ終わりにしたいが、ローラがさせてくれないでいる。
「男爵と約束したんだ。もう二度と人の血は吸わないって。それを守らせておくれ」
「吸っているのはわたくし自身の意志よ。貴女は約束を破ってない」
「詭弁だよ」
「構わないわ。恋には犠牲が、犠牲には血がつきものでしょう?」
カーミラは黙った。遠い昔、『ローラ』に言ったこと。このローラも覚えている。
ローラは吸血鬼の首をそっと愛撫し、頸動脈に両の爪をつぷりと刺した。吸血鬼は呻いた。ローラが吸った娘たちの血が、彼女の爪先から流れ込んでくる。
主の代わりに血を集める歯車仕掛けの魔導人形。それがヴァンプマトンだ。けれどカーミラが彼女を造った目的はそれではない。ただ『ローラ』に、狂おしく恋慕したあの娘にまた逢いたかった。そう思っただけなのだ。愚かにも。
カーミラは熱を帯びた目で人形を見上げる。主の意志が分からぬ娘ではない。奉仕の恍惚に微笑みながら、涙を流さず泣いている。
「御免なさいね」
カーミラは睫毛を伏せる。ああ。君がそんなことを言うから、私は。
その時、寝室の扉が蹴り開けられた。二人は弾かれたようにそちらを見やる。
黒いコートの若い娘が立っていた。手にはグロック17。暗闇に浮かび上がる髪は金色。憎悪を込めた青い瞳がこちらを睨む。
カーミラは心臓を鷲掴みにされたように思った。懐かしい香りがした。ローラが大きな目を見開いて言った。
「まあ。カーミラ、『わたくし』の血よ」
「そうだ。お前たちを殺しに来た」
【続く】
(これは逆噴射小説大賞2020の没作品です)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?