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白狼の子たる修道女 - 《嘆きの声で歌うのか?》後編


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 小鬼は周囲にくまなく目を振り分けた。それでも敵は見つからず、ふと、上を見た。

 剣の切っ先が迫っていた。それが最期に見たものだった。



 ……樹上に隠れていたレイチェルは奪った剣を手に落下し、小鬼の顔を貫いて、地面に突き刺した。小鬼はぴくりとも動かなくなった。

 仕留めたのはこれで二。確認した小鬼の総数から差し引くに、あと五。

「アギゲーッ!」

 短剣の小鬼が突進してくる。レイチェルは剣から手を放し、目にも止まらぬ裏拳で小鬼の側頭部を打った。

「アガッ!?」

 小鬼は木の幹に叩きつけられた。側頭部にもう一発。木と拳にはさまれ、頭蓋は砕けた。眼球が地面を転がった。

 レイチェルは死体から短剣を奪う。突き刺した剣を抜く。あと四。

「「「「アギャギャギャーッ!!」」」」

 小鬼どもが叫びながら向かってくる。レイチェルは木陰から出て、血の池に向かって立った。

 敵はどうやら散開したようだ。右から一、左から一、正面から二。飛び道具はなし。

 まず左手側、短剣を横薙ぎに投擲する。

「アゲッ!?」

 肩に命中。殺せてはいないが、牽制にはなる。続いて右を向き、ジャベリンのごとく剣を投げる。

「アギャーッ!?」

 眉間に突き立ち、小鬼は仰向けに倒れた。こいつは殺せた。あと三。

 レイチェルは正面に向きなおった。斧の小鬼が突進し、片目を潰した小鬼が剣を手に追随する。時間差攻撃。躱せばそれだけ時間を使い、娘から血が流れるだろう。

「アギャーッ!」

 斧の小鬼が跳びかかった。レイチェルは左の裏拳で胴体をたたき、弾き飛ばした。

 間髪入れず、小鬼が剣を腰に構えて突いてくる。鳩尾を目がけるその刃を、素手で掴み、止めた。

「アギ……!?」

 小鬼は残った目を見開いた。レイチェルはさらに強く握った。絞られた果実のごとく血が流れようと意に介さず、右に薙ぐ。小鬼はたまらず剣から手を放し、木に叩きつけられた。

 レイチェルはくるりと剣を回し、逆手で柄を握る。小鬼の口に突き入れ、木の幹に縫い付ける。あと二。同時に、起き上がろうとしていた斧の小鬼の顎に後ろ蹴り。

「アグッ!?」

 振り返る。まだ死んでいなかったので、顔面を踏み砕く。あと一。斧を奪い取り、最後の小鬼へ投げる。

「アギッ……ゲ……」

 短剣を受けていたせいか、小鬼は躱すそぶりすらできなかった。斧が頭を割り、数歩よろめいて後ろに倒れた。

 レイチェルは周囲を確認する。殺し損ねはなし。血の池からの新手もなし。あとは岩やら何やらを詰め込み、血の池を破壊すれば──。

 そう思った時、彼女は気付いた。血の池がぶくぶくと泡立っている。

「離れて!」

 走り出しながら、呆然とした様子の娘に叫んだ。娘はびくりとした後、ずるずると両腕で地面を這った。

 レイチェルは頭蓋ほどの大きさの石を地面から引き抜き、十メートルの距離を投げる。血の池への狙いは正確だった。

 しかし、それが飛び出す方が一瞬だけ早かった。それは赤い飛沫をまき散らしながら、翼を広げた。

 小鬼ではない。女の首と胴体に、猛禽の手足をあわせ持つ赤肌の魔人。アビス・ハルピュイア……!

「AAAHHHHHHHH──!」

 ハルピュイアはつんざくようなソプラノを轟かせた。その音波──否、衝撃波は飛来する石を打ち砕き、レイチェルに迫った。

 レイチェルは両腕を交差して盾にする。

「くっ──う……!」

 しっかりと踏ん張っていても、押し返される威力。ひどい耳鳴りがした。娘の無事を確認する余裕はなかった。

「キアーッ!」

 木々のあわいをハルピュイアが滑空してくる。衝撃がのこる脳と躰で、レイチェルは精一杯の回避行動をとった。のけぞる彼女を鋭いかぎ爪が引き裂き、右腕と顔の右半分に三本の痕を刻んだ。

 ハルピュイアは後方へ通過したのち上昇、木の枝にとまる。振り向いたレイチェルと睨みあいながら、魔物は森の様子を見渡した。

 散らばった小鬼たちの死体。立ち昇る血と嘆きのにおい。ハルピュイアの黒い目が怒りにゆがむ。

「我ガ同胞ニ血ヲ流サセタノハ貴様カ、ニンゲン……!」

 ハルピュイアは言った。鼓膜のダメージのためにレイチェルには聞き取れなかったが、口の動きで言葉は読み取れた。彼女はぶっきらぼうに答えた。

「そうだ。みんな私が殺した」

「ヨクモ……ヨクモ! 彼ラノ嘆キ、私ガ歌ッテ届ケテヤル!」

「恨み言に付き合うつもりはない」

 レイチェルはそう言って、狼の唸りのような音を立てて呼吸した。

 光の霊力が血脈をめぐり、癒しの力が全身を満たす。剣をつかんだ際の傷も、ハルピュイアから受けたダメージも、蛍のような淡い光によって治癒されていく。

 それだけではない。溢れんばかりの霊力は超過治癒(オーバーヒール)を引き起こし、彼女の骨や筋肉の密度を尋常ならざるものへ変質させる。彼女が拳を握ると、筋肉が軋み、空気が歪んだ。

 これが《白狼の祈り》。呪いを代償に得た、神の祝福。

「お前も殺す。そう決めてる」

「ホザケ……!」

 ハルピュイアは大きく息を吸った。

「AAAHHHHHHHH──!」

 衝撃波が放たれる寸前、レイチェルは横跳びに回避する。木々を盾とするように走り、白い軌跡が弧を描いた。

 ハルピュイアは歌いながら首を回し、その軌跡を追う。木々が揺れ、森がざわめく。レイチェルは一顧だにしない。彼女の視線は目指すものただひとつに固定されていた。最後に殺した小鬼に。

 小鬼の死体をかっさらう。レイチェルは足を止めぬまま肩の短剣を抜き、投げつけた。ハルピュイアは衝撃波で打ち砕いた。

 レイチェルは足を止めぬまま頭の斧を抜き、投げつけた。ハルピュイアは衝撃波で打ち砕いた。

 レイチェルは足を止めぬまま小鬼の首をちぎり、投げつけた。ハルピュイアは衝撃波で打ち砕いた。

 レイチェルは足を止めぬまま小鬼の胴体を振りまわし、投げつけた。ハルピュイアは衝撃波で打ち砕き、そこで忌々しげに息を継いだ。

「ナンテ奴……! 私ニ同胞ノ死体ヲ!」

 レイチェルは構わず別の死体を拾っていた。眉間に突き立った剣を、首を、胴体を、同じように投げつけていく。

(歌ウノハ間ニ合ワナイ……!)

 ハルピュイアは舌打ちと共に枝から飛び立ち、それらを躱した。

 白い風はさらに速度を増しながら、大小を問わず石をも投げつけてくる。そうしながらまた同胞の死体に接近し、武器にするつもりだろう。なんと野蛮で愚かな戦術。これが神に仕える人間のすることか。

 だが実際、それは脅威だった。速度と正確さが尋常ではない。何が何でも押し切るという圧力を感じる。受け身に回っては駄目だ。こちらから押し返さねば……!

 ハルピュイアは限界まで胸を膨らませた。

「AAAAAAAAHHHHHHHHHHH――!!」

 その歌声は嵐のように木々を打った。前方に集中させていたこれまでと違い、全方位に拡散する型だ。どこから飛び道具が来ようと撃ち落とし、どこにあの女がいようと打ちのめす。必殺の威力はないが、怯ませることはできよう。その隙に──。

「!?」

 ハルピュイアは歌いながらそれを見て、驚愕した。

 レイチェルは小鬼の死体を拾わず、ハルピュイアの方へ走っていた。そしてこれまでの走りを助けとし、足裏で強く地面を蹴った。土が爆ぜた。

 放たれた矢のごとく、衝撃波の中を突っ込んでくる。鼓膜が破れ、耳から血が流れようと、ものともせずに。

 奴はこれを──突っ切ることができる攻撃方法に切り替わるのを待っていたのか。攻撃の瞬間こそ、最大の隙が生まれるから。

 ハルピュイアがそれに気づいた時には、狼の眼光が至近距離にあった。その腕が伸び、ハルピュイアの首を掴んだ。

「うるさい。そんな声で歌うな」狼は言った。「きれいなのに」

 両者はそのまま落下した。ハルピュイアは背中から地面に叩きつけられた。

 狼は首を絞めながらマウントをとり、空いた手で顔面を殴りつけた。何度も、何度も。ハルピュイアは歌おうとしたが、できなかった。首を絞められているだけではない。

(『きれい』ト、言ッタノカ? 私ノ声ヲ)

 魔物の心の中、その声が残響していた。ずっとずっと昔、どこかで同じ言葉を聞いたような気がした。

 彼女がそれを思い出すことはなかった。



 耳鳴りが引き、ソフィーは生々しい何かが砕ける音を聞いた。

 おそるおそる様子をうかがう。魔物を殴りつけていた修道女が立ち上がり、血の池に向かって歩いていた。ふらついていたが、足取りに迷いはない。

 ソフィーが見つめるなか、修道女はその辺りの石や土を手当たり次第に血の池に放り込んでいく。魔物と血と骸以外のものをアビスは受け付けない。母と友を飲み込んだ魔界の門は、悲鳴のような音をあげながら、あっさりと消滅していった。

 修道女は、ふう、と短く息を吐き、瞑目した。

 白い髪が毛先から金糸雀色に染まっていく。彼女が目を開けたとき、その顔には柔らかな笑顔が浮かんでいた。

「もう大丈夫。これで魔物が湧くことはありません」修道女はソフィーの前に跪いた。「私はレイチェルと申します。よく耐えてくれましたね。今、傷を癒します」

「あ……」

 ソフィーは何かを言おうとしたが、声にならなかった。レイチェルは両手を組み、祈り始める。

 光が足の切断面をつつみ、癒していく。頃合いを見て、レイチェルは修道服を破り、包帯代わりに傷口を縛った。血を失い朦朧とする意識で、ソフィーは湧き上がる安堵と罪悪感に胸を締め付けられた。

「攫われた他の方々は?」処置を続けながら、レイチェルは訊いた。

「……」

 ソフィーは黙って首を横に振る。レイチェルは沈痛な表情で首を垂れた。

「そうですか。……無念です。本当に」

「……」

「ごめんなさい。貴女のことは、かならず連れて帰りますから」

 レイチェルはそう言うと、「んしょ」と声をこぼしながらソフィーを背負い、歩きだした。

 死に絶えたように静かな森の夜。彼女の足音だけが生きている。ソフィーはそう思った。自分の命は助かったのだと実感しながら、なおそう思った。

「死なせてくれて良かったのに」

 ソフィーはぽつりとそう零す。無意識のことだった。

 レイチェルはしばし黙っていた。きまずい沈黙。ソフィーが謝ろうとしたところに、レイチェルの声がかぶさった。

「お嬢さん。お名前は?」

「……ソフィー」

「ソフィーさん。貴女の苦しみや嘆きは、貴女だけのものです。私には分かりません」レイチェルは訥々と語る。「だからこれは、私の独りよがりと思って聞いてほしいのですけれど」

「……」

「私もかつて、貴女と同じようなことを口にした覚えがあります。心の底から」

 レイチェルは地面に目を向けながら言った。ソフィーは後ろからそれを見ていた。

「その私が、今、ここに生きているということ。そのことを、どうか覚えていてください。何の慰めにもならないかもしれませんが──そうなればいいなと、私は祈ります」

「……!」

 ソフィーは目を伏せて、彼女の背中に額をつけた。

 背中越し、彼女の鼓動が聞こえてくる。優しい音だ。あの狼のような姿とまるで別人なのに、確かに同じ声がすると、ソフィーの心はそう感じた。

「疲れたでしょう。今は眠って、心身を休めてください。そうだ、歌でもうたいましょうか?」

「……讃美歌?」

「いいえ、子守歌です。私、讃美歌は歌えませんから」

「修道女なのに?」

「いけませんか?」

「分からないけど。なんか、変なの」

「むむ、笑いましたね。これはどうしても歌わねばなりません。絶対ぐっすり眠れるんですから」

 彼女はそう言うと、ソフィーの返事を待たずに歌い出した。

 はっきり言って下手くそだ。元の歌を知らなくても、音程が飛んでいるのは明らかである。でも、きれいな声だった。

(ああ。歌いたい)

 ソフィーはその気持ちを思い出した。

 彼女は嗄れた喉で、修道女の子守歌を真似る。小さな歌声が、下手くそな歌声に重なって、森の闇にか細くひびいた。

 やがて彼女は眠りに落ちた。嘆きの夢は見なかった。



(了)

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