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消費し合う

九月も半ばを過ぎ、いい加減、《秋》を感じはじめたかった。30歳を目前にすると、さすがに両手もろてを挙げて夏に賛同できない。大型チェーン・コーヒー・ショップの暑い平日午後三時。何が不満なんだろう──目の前にいる顔のない女が一心不乱にコーヒーカップの中でスプーンを回すしぐさを見ながら僕は言葉をさがしていた。

「もう5年になるじゃない?わたしたち」

彼女と街を歩き、他愛無い会話を直接するのは、ひと月ぶりだった。駅で待ち合わせをし、駅前のロータリーの向こう側にある、どこにでもある緑のマークの、コーヒーショップに入った。二人で逢うようになりはじめた頃、僕が連れて行った喫茶店の跡地に建てられた店だ。新作が出ると、こぞって女の子たちがそのカフェでの写真をあげて、真に美味しいという世界からは程遠いコーヒーを絶賛し、誰かのあげた写真に「美味しそう」とコメントを付け加える。500円前後する糖分と脂肪だらけで、誰が作っても、味が同じで、なんら特徴も味わえるちょっとしたストーリーもなければ、香りも可もなく不可もない──当然だろう。マシーンに決められた分量の安い大量生産と大量輸入した一般受けするカタカナ名を付けられた豆を投入し、時間が来たら、焦茶色の液体に決められた分量のそこらへんのスーパーでも売っているような生クリームをこれまたマシーンでボタンを押して追加するだけだ。「ランプの下でお待ちください」と言われてさらに待たされた挙げ句の果て、均一で不味くも美味くもない《液体》。500円に消費税が追加され、550円である。お気に入りの指揮者のレコードを延々とかけ続け、聞いてもいないウンチクを垂れ流すマスターが1000円でネルドリップでじっくりとハワイコナを淹れてくれたあの店はとっくの昔に潰れた。緑のオシャレで小綺麗なこの店は消耗されたがっている。消費されてもされても、欲望の渦巻く中でしぶとくスタンダードで居続けられる体力──資金力──がある。個人の趣味でやっているかのような喫茶店など太刀打ちできるわけがない。

次から次へとやってくる欲望たちに応えるためにコーヒーに対するこだわりが微塵も感じられない新作をSNSで拡散していく。

僕は「そういえば、朝香あさかの子って来年受験なんだよね?」
と彼女を気遣うポイントを探しながら尋ねると、少し頬を緩ませ息子を心配する母親の顔がそこにあった。

僕よりもひと回り年上の女、朝香との出会いは六年前になる。僕の父が経営するS設計事務所で雑務をしてもらうためのパート・タイマーの事務員を募集した。よく手入れされたネイルと痩せ過ぎず、太り過ぎてもいない程よい肉付きの女が面接にやってきた。既婚者でその当時は十一歳の息子と六歳の娘がいた。たまに事務所に僕が顔を出すと、大手コンサルティング会社に務める夫は年収四桁を超えていたが、子供が二人いるから1000万じゃ、ゆとりがない、と愚痴をこぼす彼女の声が聞こえることもあった。子供が二人いるだけでそれだけ年収があっても、家族四人やっていくのは余裕がないのだろうか?──当時、大学を卒業したばかりの僕にとって彼女の悩みは現実味を帯びていなかった。僕がゼネコンを二年ほどで退社し、家業の設計事務所で仕事するようになってから朝香の愚痴は減り、音楽、映画、美術に文学の話が多くなった。彼女が若かった頃よくたしなんだ芸術──年下の未熟な僕の知らない世界。常に僕の先導役として、さらりとエレガントな方向付けをしてくれるときの彼女はあらゆるものを超越し、柔らかな草原を走り抜け、砂浜を裸足でかける少女だった。夫や子供達の話題も徐々に減り、彼女の時折見せる無邪気さが、指先から、足の爪からも、髪の先からも、くちびるからも、少し酸味を感じる脇からも溢れていた。僕は彼女を運命のミューズだと錯覚し、コンドームを使うだけでなく、彼女の安全日にのみ彼女と寝た。家庭を崩したくない。ただそれだけであり、その重みを軽く扱ってもいた。

彼女はいつも寝たあと、じぶんの歳を気にした。容姿以上に彼女は年齢にしがみつき、僕と同世代の女にコンプレックスを抱くようになっていった。ある日、僕が新卒で入社したMという女と仕事の打ち合わせをした後、朝香は朝香らしくない、エレガントではない言動を僕とMにおこなった。その翌日、彼女といつものように逢瀬し、眠る間際に彼女はサガンを夢見た。

「フランソワーズ・サガンが『嫉妬はしても、見せないのが最低限の礼儀』って言ってたのよね」

ホテルを出る車の中で、「わたしみたいなおばさんよりMと付き合えばいいのよ。あなたが去っていくことにわたしが何かを言える立場じゃないし」と理不尽なことを言って彼女は僕の顔を真正面から見ることなく、ずっとフロントガラスに映るじぶんの顔を見つめていた。多分、その日から、僕らは少しずつ、すれ違っていったのだろう。あるいは、もともと、すれ違っていたのかもしれない──僕が彼女と寝るのは虚無と寝るようなものであり、彼女が僕と寝るのは暇つぶしと所有の象徴でしかなかったのかもしれない。

朝香は決して容姿端麗なわけではないが確固たる<私>があった。年相応の肉体と、年相応の教養からくる寛容を備えているように思えた。けれども、その日を境に、彼女が極めて、非寛容なことに僕は気付いた。非寛容──しなやかさの硬直化、思考の柔軟性の欠落。自己を確立すればするほどに、失ってゆくしなやかさ。

「模試ではMARCHマーチ無理みたいなのよね……。貴方みたいにあの子もデキる子なら良かったんだけど……。大学がすべてではないだろうし。だんだんとわたしの手の届かないところにあの子ひとりでいかなきゃいけないのもわかってる。どこでもいいから、とりあえず入ってくれたら、と思ってるのよ」
彼女の現実からくる不安と我が子への心配は、しなやかで教養などではない寛容ある音を含んでいた。
「僕は、そんな、デキるわけじゃないよ。」
「やめましょ、こんな現実の話。ごめんなさいね」
「どうして謝るの?」
「だって、雰囲気台無しじゃない。こんな他人の家庭の話なんて」

彼女の現実のなかに、僕は存在しない。
彼女にとって非日常の世界の住人の僕に対して非寛容なのはむしろ当たり前なのだと今更のように気付かされた瞬間。うまく説明できないけれど、僕は僕なりに傷付いた。

「貴方の人生を、わたしのわがままで邪魔しちゃいけないと思うの」

コーヒーはとっくに冷めていた。
「そう?」と相槌がわりに聞く──僕らは始まってもいなかったし終わるわけでもない。ただ、それぞれの現実へと戻るだけなのだろう。明日だって、彼女は決められた時間、僕とは目と鼻の先で仕事する。朝香以外の女がいないわけではなかった。彼女に執着する理由を考えるより、別れる理由は目の前にあった。既婚、ひとまわり以上の年の差、価値観、経済力、社会的地位、色々と彼女と僕とのあいだには埋めることのできない差がある……。
「これって、別れ話ってことでいいの?」と僕が訊ねるべきなのだろうか?ただ、関係を解消するだけで済むのかもしれない。第一に、僕らは付き合っているわけじゃない。

「ソ連時代の共和国同士って大変ね。また戦争になってるみたい」
「アゼルバイジャンとアルメニアのことと、僕らのいまに何か関係ある?」
「関係はないけど……。沈黙も、さらっとしてないし、そんなことしかいま話せないじゃない?」
「そんなことって、〈そんなこと〉ではないけどさ。まあ、言いたいことはわかるよ」
「貴方とMちゃんってふたりであったりしないの?」
「するわけない」──僕にはきみが居た、と言いかけて、それは僕のエゴ、ただの所有欲や何かしらのしがみつくための幻想でしかないことを思い出し、やめた。
「お似合いなのに」
「なにが?」
「だから、貴方とMちゃんよ」
「朝香は何が言いたいの? というよりも、何がしたいわけ?」
「傷つきたくないの。もう傷ついてもリカバリーできるような年じゃないのよ」

傷付けたつもりはないし、むしろ、彼女が僕を傷つけているようにしか思えない。去っていくはずがないと思っていたのに、こうしてあっさり去っていかれる側になると虚無感と執着心が、音もなく、どこからかやってくる。

「朝香、眉間にシワ寄ってるよ?」
「ああ、ごめん、ごめん。先に出るね。今日、このあと、三者面談だし」

一度も僕の名前を呼ぶことのなかった彼女は千円札二枚をテーブルに置き、振り返ることもなく、店をあとにした。

窓の外の雑踏に彼女の後ろ姿が一瞬見えて、やがてそれは水滴の模様のひとつにすらならないまま、消えてしまった。

先に去ること、傷つかないために、先に去ること──音のない世界から離脱し、消耗的ではない現実だけを生きていくこと。

唐突に消耗されるだけの世界に置き去りにされた僕は彼女から追放されたのにどうしても泣くことができないでいた。静かに降る雨の雫が窓ガラスにつたうのをしばらく見つめた。

──

この物語はフィクションです

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