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落下する世界線

よく晴れた日曜の朝。
B29が迫撃砲によって撃破され、パイロットの男はパラシュートでそらを舞う。
「なあ、あれ、空から降ってるのってクソ野郎じゃね?」「ボコボコにしてやろうぜ」そう言って5人の泥酔した若者たちが鉄パイプを片手に男の着地付近へと走って行く。
男がパラシュートで公園らしき場所に着地すると、これまで見たこともない近代的な建物に囲まれ、立ち上がろうとした時に見えた周囲の道路にはこれも見たことがないほどの車が走り去っていく。薄茶色の時代遅れの軍服を着ていることに少し後ろめたさを感じたくらいだ。6日後には34歳になる。田舎には7歳と8歳の2人の息子が彼の帰還を待っている。
おい、あそこにいた!──1人が叫ぶ。
男は理不尽に殴られ続けた。遠のく記憶の中で昔、晴れた公園で母親と散歩した日の光景が眼前に現れた。磨き上げたような雲ひとつない青空、小さな自分と優しい母親の影が少し西のほうへ伸びて秋の始まったばかりの風が吹いている。やがてその影の光景は太陽の日の光で白んだ。世界は眩しいほどの白に覆われた。

その日は久しぶりに雲ひとつない日だった。
たまには近場でピクニック気分も悪くないでしょ?そう言って妻がサンドウィッチを作り、僕はコーヒーを4杯分ドリップして魔法瓶に入れた。

2月の終わりからずっと妻は塞ぎ込みがちで、妻の何人かの友人や親戚たちの中には、彼女や彼女の母親と絶縁状態の人たちもいた。

2022年2月24日。彼女の母国と彼女の親戚の国と、大きく何もかもが変わった。

僕は彼女の友人たちと春、夏と反戦のデモに参加した。
「あのー、デモの届出は一応出されてらっしゃいますし、確認もしてあるんですが…。言いにくいんですけど、近隣住民のご迷惑にもなってるらしいんです。なので、署の方としましても、3人一組で10分ずつ。大きな声を上げない。極力小さな声で。お願いしますね」

若い警察官が僕らに近づいてきてそう言った。
僕らは皆言われた通り、3人ずつ、10分間、所定の位置で旗を振る。
騒音にならないように、黙ったままだった。

「なんか、変なの……。こんなの」

主催の女性が帰り際に
「あと、シモーヌさんには悪いんだけど、あなた敵国出身であんまりみんなから良く思われてないの。できたら、今回限りで、参加やめてもらってもいい?他で協力してもらえそうな時は声かけるから。ごめんね」
と言った。

元々、主催の女性と妻は学生時代からの仲の良い友人関係だった。お互い異国の地で母国語で話せるというのもあったのだろう。

母国にいる親戚に客観的なニュースからの情報をSkypeで話すと、「そういう西側のプロパガンダはもうウンザリ」と怒鳴られ、ブツっと切られてしまった。

やがてアルバイト先でも何か言われてるんじゃないか、と気になり始めた。

そうして塞ぎ込みがちだった日が数ヶ月、半年と続いた。

家族3人で近くの公園でピクニックなら誰かを気にする必要もないし、気分が悪くなったらすぐ帰れば良い。

僕と妻は娘の手を引いて、公園に向かった。

倒れた男を発見したのは娘だった。

ここまでソファにふんぞり返って娘を抱っこしながら書いていると、突然、チャイムが鳴った。

「宅配便です」

「ちょっと、あなた受け取れる?今、わたし、スニーカー洗ってて出れない」

荷物はビールの24缶入り段ボールだった。
差出人の名前は「七海善治」。
建て替え施工主の七海さんからだった。

──
拝啓、山下様
暑い日が終わり雨の日が続きます。
先日、I公園ではおかしなこともありました。
小さなお子様もいらっしゃるので御心配もおありでしょう。
発見された男性はその後なんとか回復に向かっているようです。
近隣でこんな事件が起こるなんて、世の中も不穏ですが、ともあれ、季節の変わり目ですね。
心身共にお気をつけてお過ごしくださいませ。
敬具、七海善治
──

国際的チェロ奏者でもある七海さん。
カードにはスイスでの音楽祭に参加された際の写真が印刷されていた。

「シモーヌちゃん、I公園でなんかあった?最近」
「さぁ?何も聞いてないかな」

僕の気まぐれで書いていたB29のパイロットの話。
設定はこうだ。
関東上空を飛行していた空軍パイロットディヴィッド、1945年。
迫撃砲を小金井上空で被弾し、パラシュートで着陸後、タイムリープする。
リープ先は2022年の湘南某所のI公園。
泥酔した暴漢グループに滅多打ちにされ、瀕死の重体であったところ、翌朝、現場にやってきた家族連れに発見された。
病院へ搬送され一命を取り留める。

ただの偶然なのか、僕の妄想が現実のものになったのか、少し薄寒くなった。

シモーヌのシューズは白地にグレーのNike Air Diorモデル。

と、ノートに書き込んだ。

「シモーヌちゃん、洗ったシューズってどれ?」

「ははは、ちょっと言ってなかったけど、ある人に高級品貰っちゃって……」

私が神になった瞬間だった。

カザルスがOvertureを響かせる。
笑って、笑って、笑って、笑った。

───2000字強───

クイズ
タイトルと冒頭の一章に隠し要素があります。お気づきの方はニヤけておいてください。

あるふたりの作家さんのファンの方は気付くかもしれません。

平和を訴え続けたチェロの神様 カザルス

いただいたサポート費用は散文を書く活動費用(本の購入)やビール代にさせていただきます。