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とるにたらないこと2021/10/17

俺を「中二病らしく撮ってあげる」と言い出し妻がはしゃぎながら俺の日記の表紙用に撮影と加工をしてくれた。中二病らしくチューしておいた。俺はよく妻をネタにしてしまいますが、これはあまり大きな声では言いたくありませんが、本当は仲良しです。

言葉って何だろう。
時には見知らぬ誰かが笑ってくれて、時には、見知らぬ誰かが自分のことを言ってると思い込み怒りを買う。
公開するなら誰かしら笑ってくれたら良いなとは思う。理不尽なことで気分悪くなる日もあるけれど、それをたまに俺は面白おかしく書いて笑い飛ばす。確かに、エログロ志向だから下劣で品なんてない。大抵は現実に俺と関わっている人たちがモデルとなって、色んなドタバタ劇が俺の妄想で演じられながら蜃気楼の向こう側からこちら側にやって来る。

そういう人たちだけでなく、感性が刺激されるような素敵な油絵を描かれたり、音楽を奏でたり、エッセイを書かれる方たちは、会ったこともないのに、何故かたまに、性別も世代も超えて、彼らはエレガントな白のワンピースと麦わら帽子に裸足で砂浜を歩いて現れる。

印象的な油絵を描く宮谷さん
彼女の絵を観ると色んなストーリーのシーンが思い浮かぶ。目を閉じるとたくさんの光彩の中、ひたむきに、そこにある空気もなにもかもに真摯に向きあって描くエレガントな女性画家が蜃気楼の向こう側に見えてくる気がする。描かれた絵の光彩にいつも俺は気付くと見入ってしまっている。


とても思慮深く洞察力があり、それなのに、どこかチャーミングな文章を書く素敵なエッセイストmakiさん
エレガントでありのままにささやかなことが綴られている。ひけらかさない知性と深い洞察力によって品のある文章たちが自ずとエレガントに振る舞う。
俺にはとても出来ない。きっと素敵な方なのだろう。
丁度、今日、彼女のエッセイが更新されていた。言葉の不完全さに少し悩まされ落ち込む俺に何となく優しく微笑んでくれるようなエッセイだった。


言葉は不完全なものかもしれない。けれどもそれを補完するのは、俺にとっては、誰でもなく自分しかいない。だから、誰かと連作するのは俺には出来ない。必ずどこかで自己欺瞞に陥る。文章は、多分、俺は、孤独に書かないといけないんだと思う。

孤独の中、言葉の波濤に身を任せる。

孤独は孤立とは違い、孤独は自己欺瞞に陥ることなく自分と向き合うこと。

サリンジャーは「ライ麦畑でつかまえて」などでヒットを飛ばしたあと、忽然と人前に現れなくなった。掘立て小屋に引きこもって、自分だけのために書き続け、生涯それを出版しなかった。
戦争で兵として従事したあと、彼の心に残したその傷はとてつもなく深いものだったのだろうと想像する。彼がなぜある時点から出版せずに、自分だけのために書くようになったのかは、具体的にはよく知らない。
けれども、何となくわかる気がする。

言葉はとても不完全であるけれど、孤独の中で「書く」ということで何かしら救いがあったりするものであろう。誰かに伝えたくて書くこともあれば、世の中の色んな人びとに知って欲しくて書くこともあるだろうし、逆に、日記のように、あるいは、サリンジャーのように、誰にも見せることなく、自分だけのために書くこともある。そして、言葉の不完全さは、見知らぬ誰かに微笑んでくれたり、傷つけたり、優しくしてくれたり、悲しくさせたり、怒りを呼び起こしたり、笑いを誘ってくれたりする。

俺は多分妻の惚気を自分だけのために書く。
書くことは愛すること。

誰かに下劣なエログロでしかないって言われても俺は書き続けるかも知れないし、ある日突然飽きるかも知れない。

エモく撮ってくれたから本当はその自慢でしかなかったりするんだけどね。


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