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Ciao
僕は何枚も馬鹿みたいに写真を撮った。
厚手のウェットスーツ姿のサーファーたち
娘が妻と母の間に立ち、彼女たちの手をしっかりと握りしめて波打ち際へと向かう姿。
彼らの向こう側、遠くの水平線を見ると、たくさんのヨットが揺れながらぽつぽつと波の合間に浮かんでいた。
風の強い冬、午後の海。
目を瞑ると、ヨットに乗るひとたちが、僕の逢いたいひとたちなのかもしれない、とそんな考えが浮かんだ。
あまりに遠くまでお互いに来てしまい、僕は彼らと次に逢えるのはいつの日なのかわからない。
彼らは僕が忘れかけてしまったことを忘れておらず、夕暮れが迫るころ、僕の愛おしいひとたちの向こう側にみえる、波間のヨットのような輪郭として僕に古くて懐かしい曖昧な記憶や感情を提示してくる。
ひとりにひとつのヨット。
ふたりでは乗れない。
生まれてくるときも死ぬときも、ひとりでもと来た帰り道だと信じて歩いて、アヴァロンの船着場に辿り着く。
たくさんのヨットのひとつに年老いた男が乗っていた。
三本ずつの指を器用に使い、ヨットの向きを調整する。
言いたいこと、叫びたいこと、思うがままに口にしているのが見えた。
何を言っても波と風が彼の声を消していく。
だから僕らには彼の叫びが聴こえない。
それでも何かを叫んでるのは見てとれた。
アオ
と言ったように見える。
何度も何度も、アオ、と男が叫ぶ。
満州のぬかるんだ道なき道をアオと名付けられた馬と駆けた日。
緑の河岸で男を庇うようにアオが倒れて最後の嗎を男に向けた。
若いつやつやした鼻筋の通った女の子が乗るヨットでは、周りの波も静かにしている。
少年の顔をスケッチをしながらヨットの上で寝転ぶ女の子。
好きな歌を口ずさむのが波を伝って聴こえてきそうだった。
そんな逢いたいひとたちがたくさんヨットをめいめいに漕いでいる。
晴れ渡る空の下、一面雪の中で懐かしい樫の木を抱えて微笑む少女。
帰りたい雪道が押し潰された。僕が他の道を作ってあげなきゃ。
いまのこの海岸までの道はきみの帰り道からは逸れてしまい、遠く遠くなってしまったかもしれない。
ごめんね、と言うと、どうしたの大丈夫だよ、と言う。
きみの笑顔をたくさん馬鹿みたいに撮った。
干からびたミミズになりたい
きみがいつか僕に言った。
僕はきみを干からびたりさせずに陽の当たる大地に必ず連れてってあげる。
*
心の海に偶然投げられた小石。
幾重にも波紋を織りなす。
偶然の出逢いがさらに異なる波紋作る。
波紋と波紋が干渉し、思いもよらないところへと僕の気持ちを連れていく。
最初に居たところへ帰ろうとしたら、帰り道が別の道になっていたりする。
波紋の形づくる道、振り返ると「運命」と誰か──細く東に伸びる影のような誰か──が言った。
──僕のいまの『イザベルへ ある曼荼羅』(アントニオ・タブッキ)はそのような感想だろうか。
感想とも言えない何か。
イザベルがポルトガルのサラザール政権に反対したひとたちの象徴であれ、なんであれ、タブッキにとって、僕にとって、イザベルとはなんだろうか。
いくつもの出逢いと別れ。
生きていたら誰でも経験する。
逢えないひとたち、ちゃんとさよならできなかったひとたち。
彼らの言いたいことを聞き逃してしまって、彼らに逢いたくなる夕暮れ時。
いつか書こう。
冬の冷たい海風が「ciaoまたね」、と言いながらいくつもの破片を宙に舞わせてどこかへ連れ去った。
イザベルの感想をどうしてか少しずつ書きたくなったのはアサミさんが読んでくれたから。
ありがとうございます。
赤いクレセントムーンにちょこんと座りウイスキーが飲みたい。
タブッキはいつ見ても透徹な目で優しくていい男だなと思う。
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