とるにたらないこと2021/06/30,07/01
ハングリー精神
相対関係で動いているわけではなく、自分はどうか?に尽きる。自立する志は物凄く重要だ。
仏教的には親鸞の言う「相応」自分の立場をわきまえることも大事だが、高橋和巳や倉橋由美子、吉本隆明らが言っていたように、自身が自立していくための哲学を持っていなければならない。
それを支えてくれるのは友人や家族である。もちろん社会的に認知されていくことは大事だが、その為には自己を常に客観視することも大切である。コーザリティーに立ち戻る。
だから、自分なりの哲学や思想を持つことに意義があると思っている。
悲しい日
かなりモヤった7月1日の午前。
いつも、最近いいねを記事にくださっていたり、コメントをしていただいていた方が、回想録的私小説にコメントをSNSで残してSNSもnoteのアカウントも消されてしまった。悲しかった。
反射的にいいねを押すような方ではなく、恐らくきちんと僕のこれまでの駄文を読んでくれていた方だったからだ。
俺の書いた創作でイライラさせたりしたのだろうか?と考えたが、俺がこれを実際に書き終えたのは2021年3月17日であり、考えてもしょうがないことと思い直した。
誰にも見向きされない文章でもいいと思っていたのは確かだ。それでもやはり見ず知らずの方がきちんと読んでくれていると、とてつもなく嬉しい。だから、俺は、これまでの記事をその方に読んでいただきとても感謝している。もし、いつかこの記事を見たら、俺は彼/彼女に伝わるといいなと思う。
惚気
俺の記事は、このように、ほとんどが惚気だし、それはプロフィールにも書いてある。このアカウントを作った時、書いた。
ここにある回想録のような創作小説やショートショート、読書感想文、思想やらは、全て、妻を俺がどれほど好きかという惚気以外何物でもない。
俺にとっては、哲学も本を読むのも、大局的に見れば、愛の為で他ならない。
だから誰かにコメントされると素直に嬉しい。
それは妻を褒められたような気持ちになるからだ。俺は自分の文章が舌足らずなのも時折ニヒリストだったり、独善的なのもわかっている。
だから文章を褒められるよりも、俺がどれほど家族に支えてもらっていて、家族を愛しているか、そんな下手な駄文からも伝わっているととても嬉しい。
ただそれだけなのだ。
だから、何かをもし過剰に期待して(例えば哲学思想だとか、きちんとした書評だとか、誰が読んでも面白いと思えるショートショートだとか)俺の日記的なnoteを見ても何ももしかしたら得られないかも知れない。
だって、全部、惚気やもん。
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