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とりとめのないこと2023/03/17 憧れと思いやり

僕が哲学書を読み漁ったのは僕は自分の存在を軽視し重視したからだろう。
消えたい───僕の存在を僕の中で認めて、「生きたい」と願った時、僕は哲学書にしがみつくかのようにして教養を蓄えようとした。
そうして、僕はサルトル─── ポストモダン台頭後、葬り去られた───に出会い、他者からは理想論、馬鹿げている、時代遅れと思われようとも、粘り強く彼の残した言葉との対話を9年し続けている。

他者を通して自己を作り上げる、本質を作り上げる

僕の最も敬愛するサルトルの思想の本流だと僕は考える。
サルトル───憧れであり僕が物事を突き詰めて考えるときにいつも大きく立ちはだかる乗り越えねばならない巨人。

他者にしてあげたかったけど、できなかったことのほうが多い。
知識ばかりを蓄えて、知恵にまで昇華しきれていないことのほうがほとんどかもしれない。

僕の稚拙な考えの、現時点での、まとめは一言で言うと
《思いやり》
に尽きる。

『想像力の問題』を何度も何度も何度も読み返して噛み砕き考える。

現実の中に組み込まれていながら、それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間
それが想像するということである。
『想像力の問題』イマージュの志向的構造 J.P.サルトル

意識の〈非現実化〉する偉大な機能、それこそが〈想像力〉

思いやる、というのは意識の非現実化である。
この非現実な期待できないものを夢見ていったい何になるというのだ。
けれども、夢見ること、希望を持つことが燃料となり、今をやり過ごすことができる。

そして、思いやりというのは自己に余裕がなければ、僕はできない。
夢見ることは快楽であり贅沢なことでもある。

僕の哲学する意義のいまのところの総意は《思いやり》を実践することである。

当たり前すぎて書いていて呆れてしまうが、僕は余裕なく、やっとそこにたどり着けたばかりだ。

3月22日は僕と僕の最も大切なひととの記念日。
毎年、何かしら彼女に文章を捧げている。
そして、辛口批評を受けている。
今年の3月22日まであとわずかだが、まとまるだろうか……。

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