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いまこそ、希望を

著者 サルトル/レヴィ
訳 海老坂 武
出版 光文社古典文庫 2019年2月20日 初刷

はじめに

本書を僕は以前『いま、希望とは』というタイトルのものを読んだ記憶がある。書店にカレル・チャペックの本を何冊か探しに行った際、棚にあったのを見かけて懐かしく想い、新訳でサルトルに造詣の深い海老坂先生の訳ともあり、購入した。

タイトルが改められた理由を海老坂先生が丁寧に説明している。

できれば手に取って序文の訳者の「はじめに」を全文読んでいただきたいが、とても共感したので以下わずかながら引用する。

「自分とは何か」「他人とは何か」「仕事とは何か」「自由とは何か」「民主主義とは何か」等々、人生を歩んでいくなかで、社会を考えていく中で、誰でも立ち止まって考えるときがあるでしょう。そんなとき、サルトルは確実な対話相手となりうる、そんなふうに考え、このテキストを訳し直し、解説を書き加えました。
『いまこそ、希望を』サルトル/レヴィ著 訳 海老坂 武 光文社古典新訳文庫 p9

サルトル晩年の対談

サルトルは、まさしく、行動する散文家であり、哲学者であったのは周知のことであろう。

以前読んだ際は、かつてのサルトルらしい鋭さは欠け、レヴィに振り回されているといった感覚を覚えた。

今再読してみると、そのような事はどうでもよく、彼が如何に、未来に対し他者との交わりの中で、自己を見出し、行動していかねばならぬか最後まで一貫していること、そして、晩年、彼が希望を持って生きる、愛を持って生きることが如何に大事であるのか切々と感じていたことを思い知らされる。

訳者 海老坂先生のサルトルへの敬意と彼の思想への造詣の深さ、情熱を解説から伺える。

レヴィの挑発的で皮肉交じりな問いかけ

マルクスにおいては人間以下の存在は相対的かつ全体的な新しい人間を建設するための原料とみなされた

に、対し、サルトルは

人間以下の存在のなかに、まさしく人間的な側面があるんだよ。
人間のほうに、あのさまざまな原理が。
目的を獲ち取るため、人間を物質や手段であるかのように利用することをおのずと禁止しているさまざまな原理が。われわれが倫理の問題に取り組んでいるのは、その点においてなのだ。

と答えている。

この、「人間以下の存在のなかに、まさしく人間的な側面がある」というのは、ミラン・クンデラのキッチュにも通じるものを感じる。

また、他者との交わりである社会の中にこそ、いかにヒューマニズム、人間らしさがあるべきで、その他者との相互関係の上での成り立ちである「人間らしさ」を軽視してはならぬと、言っているようにも思える。

自分自身の意見を持ちお互い敬意を払いながら議論することの大切さ

マルクス・エンゲルスやサルトルといった名前からすぐに「左傾向」を連想される人たちが多い。
左右に関係なく、ヒューマニズムが他者との関わりの中で育つという視点はとても大事なことではなかろうか?訳者 海老坂氏があとがきで解説されているとおり、今の時代では特に、日本の左という言葉はかなり語弊があるように思えてならない。市民活動、市民運動といえばすぐに「左翼」「共産党」と日本的なイメージでレッテルを貼り始められる傾向もある。

自分とは異なる意見や反対意見、議論、批判をすること≒「左」とされるのが今の日本の風潮であろう。

僕は、何主義でもなく、僕は僕である。僕なりの考えと主張と思想を持っている。それは誰の主義というようにレッテルは貼られたくない。

現代の日本では意見持つこと、異なる意見を敬意を持って述べることがあまりにも軽視されてしまっているようにすら感じる時がある。

同調圧力や異質なものの本質を見ず排除しようとしたり、よく自分自身の頭で考え抜かずに安直に強い言葉を使ったり、無抵抗であったり、無関心を装うことがマナーのような風潮はどことなく過去の全体主義的なものを彷彿させる傾向が今あるような気がする。

哲学というのは、自分自身や愛する家族、愛する周囲の人々、生まれ育った故郷などへの愛、要するに、『愛』のためにあるのだと僕は思う。当然そこには『心』があるであろう。愛、心を持って生きているというのは、身近な生活の中で、あまり認識されない。しかし、逆に言えば、あまりに基本的な事とも言える。そうした生活の延長線上に、我々の政治というものがあるが、日本は民主主義であるが、現在本当にそうであろうか?

おわりに

優しさ、共感、寛容と共に、非難ではなく、批判精神をもち社会とのかかわり合いのなかで、お互い敬意を持って、自分自身の在り方を作り上げていくことの大切さを、改めて、知らしめられた。

今のこの分断化した世界で、かつ、無意識に全体主義、独裁的な状態に対し、無抵抗にいるわれわれはサルトルを対話相手とする事で何かしら得るものがあるであろう。

だからこそ、海老坂先生がタイトルを『今』変えたことには、かなりの熱い彼なりの『希望』があるのだと解説ともに読み通して伝わってきた。

海老坂先生の反戦に対する想い
※Instagramでフォローさせて頂いている方から落合恵子さんとの対談の動画を教えて頂きました。ありがとうございます🙇‍♂️

最後のサルトルの言葉は、あまりに力強い。

 とにかく、世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界のなかで死のうとしている老人の、静かな絶望さ。
 だが、まさしくね、わたしはこれに抵抗し、自分ではわかってるのだが、希望のなかで死んでいくだろう。ただ、この希望、これを根拠付けなければね。
 説明を試みる必要がある。なぜ今日の世界、恐るべき世界が、歴史の長い発展の一契機にすぎないのかを、希望がつねに、革命と氾濫の主要な力の一つであったということを。それから、わたしがどういうふうに、自分の未来感として、まだ希望を感じているのかを。
『いまこそ、希望を』J.P.サルトルxレヴィ 訳 海老坂武 光文社古典文庫
p124


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