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時給という働き方の限界

時給で働きたくない!そう思ったのは学生時代のアルバイト最中でした。

とある社員さんに『もう少し早く作業して』と言われ、それから私は素直に頑張りました。

どうしたらもっと早く作業できるだろう?作業方法だけじゃなくて、作業の順番など色々な角度から時間を短縮できるところがあるんじゃないか?本当にさまざまなことを考えました。

そして、努力と運(商品納品の時間)の結果、ある日私は1時間弱の時間短縮に成功しました。
商品納品のタイミングが良かったので、こんな日はもう再現できないだろうと思ったけど、それでもその日の時間短縮にめちゃくちゃテンションが上がりました。
そして社員さんに終了を告げると、こんな言葉か返ってきました。

『お疲れ!もう上がっていいよ!』

‥はぁ?

いやいや、他にやることあるから時間短縮しろって言ったんじゃないの?ここで上がったら私の1,000円(時給これくらいだったと思う)どうなんのよ?

その時、努力したのに給料が減るという理不尽を目の前に、私は努力と時給は共存しないと感じました。
ダラダラやっている方が給料が良く、努力して考えてテキパキした方が給料が下がる。それが時給なのか。

そんなことを思ったのに、結局時給で働いています。厳密には『時給』という言い方はされませんが、一般的な会社員は、1日8時間・週5日をお金に変えているので時給と変わらないですよね。

もちろん努力した分昇給などに反映はされるかもしれませんが、「今月めっちゃ成果出した!」という月があっても、昇給が年1であれば昇給月まで反映は無しです。

逆に言えば「全然成果出せなかった」という月も、1日8時間・週5日の時間を差し出せば、ある程度の給料が保障されているので安心安定とも捉えられます。

どちらも一長一短ではありますが、時給の理不尽を目の当たりにした時のショックが大きく、やっぱり時給以外の収入を得られるようにしなければ‥と思っています。

色々努力が必要ですね〜〜〜。

小説が‥小説が読みたいです_:(´ཀ`」 ∠):