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映画評 勝手にふるえてろ

観た後に気持ちを伝えたくなる、好みな映画について長いこと書くって事をしたくなりました。暇な方は付き合って下さい。ネタバレは極力避けていますが、未見の方は控えた方がよろしいかと存じます。個人的に感じた事を吐き出します。

原作 綿谷りさ 2010  監督 大九明子 2017

まず意表をつかれるのが独白の大胆な演出。あれ?これ対話?いや違う?といきなり揺さぶられる。そんな事がどうでも良くなるくらい矢継ぎ早なテンポのセリフ廻しに翻弄される。嫌いじゃない。と、はやる心にブレーキをかける。

次に目についたのがシンメトリーな画作り。キャラの人数やオブジェが綺麗に対照的。公開の翌年2018年にメイン公開劇場の新宿シネマカリテにて同じくシンメトリーが特徴的なウェスアンダーソン監督の「グランドブダペストホテル」を抜いて同館の歴代興行収入1位となったのも何かオカルトで深読みすると頬が緩む。(ソース Wiki)

とにかく対を意識させる様々な演出が続く。現実での社会的な振る舞いと脳内うふふ状態でのカメラに映る色味、発声、発語はギャップが大きく、恋に落ちた。というか舞い上がっている様子を分かりやすく観客に伝える。アンモナイトの回転に寄り添うようにハープが爪弾かれるのもそうだがとても表現が細やかだ。

24年間恋愛経験ゼロな松岡茉優ヨシカは中学からずっと北村匠海イチに片思いしている。そんな中、社内の同期渡辺大知 霧島ことニ(数字の2です)から告白された事によりヨシカの果てしない初体験だらけミーツ堂々巡り(地獄巡り)が始まる。

この映画は恋する女性の美しさを描いている。だけでは無い。のだが、正直美しすぎる。肝心な場面でどこまでも不器用で素直に出来ない、というか嫌な言い方だとキョドってしまうその立ち振る舞いも、1人で過去の鮮烈な思い出に浸り頭の中をイチだらけにしている様子もどちらも等しく美しいと私は思った。1人の人間のこんな様子は映画の中でしか実際には観ることが出来ない。ネットが当たり前の現代に生まれてしまった私たち、本心はどうであれ仮面を付け替えて社会生活を送る。私たちにあるいはあなた達に見える人々の様子なんて所詮かりそめだからだ。

私自身は割と恋愛経験が豊富な方だ。と言われるし実際にそうかもなと思う。コミュ力とか言う世間でありがたがられる糞みたいな能力も劇的に低いわけではないと自認する。仮面の切り替えを上手くやっている「風」に見せているだけなのだけど。本当の感情は出さずに、というか「上手く」出せずに奥歯に憂鬱を挟んでいる事がとても多い。

LINEでは相手が読んだかどうか「既読」が付く。本来の手紙のドキドキはとっくの昔に失われてしまっている。相手に届いているかな、なんて返事が来るかな、便箋からどんな香りがするかな(Weezer Across the sea)「既読」の表示がずっと違和感だったけどそれについての見解、ソーシャルなネット上では意見ってほどでも無い、つぶやき程度の事さえ書き残さないようにしていた。

ネットを手にした私たちはある種の自由を手に入れた。一昔前じゃ考えられない喜びを感じる瞬間は多々ある。最近というか今日の昼間の出来事で言えば自前でトマスピンチョンの翻訳してる人からフォローされた。過去の投稿を読んでいくと希望者にメールで翻訳したデータを送ってくれるんだって。日本でも翻訳されきれていない難解な英語の小説を日本語に変換する能力と志を持った人。現代って凄すぎるなぁ、と日々思う。ネットが無かったらきっと「繋がる」事が出来なかっただろうから。機械音痴だけどネットの恩恵はドッバドバ受けている。

同時に。エビデンスを取られて晒される絶望感もある。こんな状況じゃ大胆になれるわけもない。恥ずかしい気持ちを乗り越えて好きな人に告白して、裏でくすくす笑われる可能性。かつてネット黎明期にプロフィール文化があった。周りに多数いる友達ギャルズの影響を受けていた私はどんどんプロフィールを更新していった。今では考えられないくらいあけすけでこっぱずかしい情報の羅列、当時の恋人とのプリクラ、趣味嗜好全てリテラシーがないまま晒していると気付けば大きな掲示板に晒されていた。確かめようが無いが恐らく級友。腫れ物だったし褒められる生き方もしていなかったし自業自得なのだけど。この映画を観ながらその時の事を思い出していた。

現代を眺めていると若い子に自由も増えたけど窮屈な瞬間も同じくらい、下手したらそれ以上に増えたんだろうな。と考えてしまう事が多い。

まるで知らない生き物こと「他者」と「対」になるべく奔走し、気に入られるべく、プレゼントレストランジョーク服装あらゆるものの選択を迫られる。答えのない問い。恋。ましてそれが初めてのことだったのならば頭爆発発狂地団駄。恋愛至上主義時代・コミュ力必須時代の現代にはくそくらえ。ヨシカはどちらも手にしてはいなかったけどそれより大切なことを見つける事が出来た。

ヨシカが悩めば悩むほどそこに過去の自分を見た。恋に悩んでいた友人の顔を見た。これからの初恋に悩むであろう未来人の顔を見た。

冒頭からのシンメトリーな演出はきっとヨシカの欠けた片側を何かが埋めるのだろうと思って期待して見ていた。

埋めてくれ、その片側を埋めてくれ、ヨシカ。君自身が選んだ誰かによって埋めてくれ。と祈りを込めながら観た。

笑って泣いて、誰かのことを思う。私が望むことはそれだけです。それら全てを叶えてくれたこの映画に出会えて嬉しかったです。

恋にもだえて燃えて燃やされて身を窶して、孤独を感じたとしても。

「人間は新しい環境では常に新人です」若林正恭





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