見出し画像

4つ切り食パンにエシレのバターを付けたみたいな幸せ


先週の日曜日、朝9時45分の回で『花束みたいな恋をした』を見た。
坂元裕二さんの作品が好きで、
というか、琴線に触れるドラマだなと思って確認すると、坂元裕二さんであることが多発。
最高の離婚、カルテット、woman、いつ恋。
どれもサントラをCD購入するくらい好きだ。
今回は初めて、坂元裕二さんの作品と知った上で鑑賞した。

朝イチで1人で見た。
女友達と見ることも考えたけど、自分がこのタイミングだと思った時にすぐ見たいと思っていた。
だから前売り券を一枚だけ買って、本能のままに映画館に向かった。
特に最近、誰かと恋愛ものを見ると堪能できないことも増えてきた。キャピキャピを通り越して恥ずかしさばかり感じる。そんな心配をしないでいいようにしたかったのかもしれない。

見終わったあと、「芳醇」とかかれた4つ切りの食パンと、エシレのバターのパッケージが延々と頭の中を回っていた。
私にとって4つ切りの食パンは、日常の中のとびっきりの幸せで、それにエシレのバターを加えると、それは言わずもがな最高級の朝ごはん。
それくらい満たされた時間だった。

でも、ホテルの高級ディナーやカウンターのお寿司では、喩えとして不適切だった。

日常と切り離すための時間ではなく、私たちが過ごす平常の延長線上にあるものだから。
その中での尊い時間が描かれていた。

そして、この映画になぜ魅了されるのか。
当たり前の微かな幸せこそ、多くの人が求めたがるものであり、そして逃した経験もあるからだと思う。
映画の主役オーディションで落ちた、みたいな経験は滅多にないけど、
身近な誰かとの時間を失って後悔した人は多い。
また最後の30分のように、誰かに過去の自分を投影して、今の自分を悲しんだことも少なくないだろう。

改めて、大事なものを教えてもらった。
手離してはならないものを確認できた。
だから、この映画は救いになる。
日常+αの芳醇さを忘れかけた時、また見たい映画。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?