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コロナ初期の激しい差別と陽性者1日20万人の現状から考える疾患差別

コロナ禍の初期、田舎での初感染者は家に石を投げられて窓ガラスが割れ、一家は怖くなって引っ越した。

感染した一人暮らしの学生は、郵便受けに「出ていけ」という紙を入れられ、やはり引っ越した。

あのとき石を投げた人は、今も未感染だろうか?
紙を入れた人の家族は、今もみんな未感染だろうか?

1日20万人の陽性者がいる現在、身の回りでは毎日のように職場の誰か、あるいは誰かの家族が陽性になっている。コロナはもう、身近で感染者がでても驚かない病気になった。でも、ほんの2年前には、上記のような激しい差別がたしかにあったのだ。このことが、他の疾患に対する差別についても考える機会になることを望む。

たとえば統合失調症、うつ病、発達障害、認知症……。

自分は無関係だと考えて思いきり差別し嘲笑する人がいるが、コロナと同じく、自分や家族や大切な人が急に発症するかもしれない病気である。

こういう「いつ自分や家族が発症するか分からない」という警句を書くときに、必ず思い出すことがある。

「中高生のころ、近所にある作業所に通う人をバカにして、『キチガイ』と呼んでからかっていた。でも、いまは自分がそこに通ってる……」

過去にそういう話をしてくれた人がいたのだ。

この人に対して、「自業自得だ!」「因果応報だ!」と憤る反応もあるが、ちがう、そうじゃない……。

その発想は、たぶん、疾患差別と根っこのところでつながっている、あるいはつながろうとしている。

「作業所に通う人をバカにしたからバチが当たった」と責めるのと、「作業所に通う人と仲良くしてたから病気がうつった」と揶揄するのは、向きは真逆でも、種類は同じだ。

そんなこととは無関係に、誰にでも起こりえるのが、病気なのだ。

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