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宮本輝『流転の海』全9部読書会をふりかえる②

こんにちは。

「~ふりかえる①」が途中で力尽きてしまい、引き続きの記事となりました。①は以下から読めますので、よろしければご覧ください。ただし、この記事単独でも完結できているように努めます。

さて、この『流転の海』は、宮本輝さんの半自伝的大河小説です。ご本人(松坂伸仁)、父君(熊吾)、母君(房江)の三人を中心として形成される、まさに「小宇宙」を描いたものです。この「小宇宙」のことを、仏教では「眷属(けんぞく)」と言うそうで、似通った性向を持った者、過去世からの縁(えにし)を背負った者通しが引き寄せ合うという考え方があるようです。

父・熊吾は豪胆かつ精緻な考え方をする男で、身近な女性、ことに妻・房江には横暴かと思えば、繊細な心配りも見せます。この、相矛盾した性向が、一人のキャラクターの中で統合されているのが宮本輝さんの筆力によるものと思われます。

ただし、35年間をかけて完結した作品群だけに、女性の扱い方は、台詞回しなどを含めて「古い」のひと言に尽きます。その辺り、女性の読者からは反論・異論が出ることと思います。明治生まれの男とは、こういうものなのでしょうか?

いみじくも芋仁さんがご指摘くださっているように、この松坂熊吾が体現している男どもの気質が、今までこの国と社会を左右していたと言えるのではないか。そういう意味では、この小説群(まだ3部に入ったところでしかありませんが)で描かれているのは、熊吾という一人を通した、近代日本の社会と歴史の全体像だったのかもしれません。時代と社会を象徴するような人間像としては、ジャン・バルジャンやラスコーリニコフ、カラマーゾフ家の人びとに匹敵するくらいの「達成」なのではないかと、薄々感じています。

そして、もう一つ忘れてはならないのが、「戦争」とそれを引き起こす「権力」に対する憎悪・怒りです。

従軍して中国大陸での経験を経て帰還した熊吾は、もともと透徹した人間観と歴史観を併せ持っていた人でした。一人の人間の生命と幸福とを蔑ろにするものとしての「戦争」と「権力」への、激しい怒りと闘争心は随所に見られます。ある意味では、この書は宮本輝さんの「平和論」としても読めるのではないかとさえ思えてくるのです。

そして、こうして「既に起こってしまった『過去』」を描き、とどめておくことで、将来においてその「克服」を期待されているのではないか。それが人間の「業」であるにしても、宮本さんの人間観には、どこかその「悪しき業」をやがては乗り越えることができるという信頼が横たわっているように思われます。

とりあえず、今回はここまでといたします。またいずれ、あるいは③を書くことがあるかもしれません。その時にはまたよろしくお願いいたします。お読みくださり、ありがとうございました。それではまた。




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