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私にとっての「名演奏」とは?

 こんにちは。

 ブログでも一時手がけていたのですが、クラシックのCDの中で印象深かったものを何点か紹介していこうとする企画を進めてみようと思っています。

 今回はその開始に先立って、そもそも私にとって、どういう演奏が「名演」として心に残るものであったのかについて書いておきたいと思います。

 結論から先に申し上げると、それは「わかりやす」く、かつ「曲の真価・価値を提示してくれる」ものであると考えます。それは例えば、苦手と考えている作曲家や作品について、ああ、なるほど、これはこういう曲であったのかと腑に落ちる形で提示してくれるものであります。ちなみに、私にとっての鬼門は、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウス、マーラー、ブルックナーなどといった作曲家たちの作品です。

 もっともそれは、限られた私の音楽経験から導かれたものでしかありませんので、もっと普遍的な言い方は可能であるかと思っています。いつでも訂正に応じる準備はあると書き添えておきたいと思います。

 具体的なディスクを挙げると、苦手なリヒャルト・シュトラウスの演奏では、ロリン・マゼール指揮のディスクということになります。例えば、これ。全4枚シリーズからの抜粋かと思われます。

 このシリーズを初めて聴いたとき、ああ、なんてわかりやすくて美しいんだろうと感じたものです(とはいえ、一気にシュトラウスのファンにまでなったわけではないのですが・・・)。

 また、CDで言えば、最後までその演奏を一気に聴かせてくれるものということになるでしょうか。

 性の合わない演奏だと、進行がもたついた感じがして、再生を止めてしまうことがあります。しかし、演奏がその時の体調や気分などとしっくり来ると、全曲聴き通すのが、全く苦ではありません。

 と書けばおわかりになるかと思いますが、「私にとっての名演」とは、固定したものとしてあるものではなく、その時々のコンディションなどに応じて、まさに生成されていくものであると言えるかと思っています。

 最後に生演奏で聴いた、あれはまさに「名演」だったといえる「体験」について書いて結びとしたいと思います。それは、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮のソビエト国立文化省管弦楽団(当時)による『シェエラザード』でした。

 この曲は、『千夜一夜物語』をモチーフとした曲で、シェエラザード妃が王に語る物語を音で綴った作品です。その二人が、演奏によって目の前に立ち現れるのです。また、王妃を奏でるヴァイオリンのソロが、甘美かつ妖艶で、「そそって」しまいました(汗)。そして、終曲が近づくにつれて、「ああ、もう終わってしまうのか。もっともっとこの時間が続けばいいのに!」と思わされたものでした。

 以上、非常に拙いものでしたが、私にとっての「名演奏」とはどういったものであるかについて述べてみました。以後折々に、具体的にCDを紹介していければと考えておりますので、よろしければおつき合いくださいますようお願い申し上げます。ではまた!


 

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