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【杜のラボ】わからないという方法~新しい「自立」を引き出す

こんにちは。5月28日(土)15:07です。すっきりと晴れ上がり、さわやかな一日でした。今日のnoteは、昨夜clubhouseやTwitterスペースでお話ししたことを思い出しながら書いています。おつき合いください。

さて、「自立」と問われてイメージすることは、人によってさまざまだろうと思います。今日のところはさしあたって、「わからない」を素直に言えることが条件の一つということから始めようと思います。「わからない」が、自立を引き出し得ると書ければ、今回の立論は成功だと思っています。

通例ですと、「わからない」ことがない、あるいはより少ないことが、より「自立」に近いと考えられていると思うのですが、ぼくはここではそうではないと申し上げておきたいと思います。わからないがない、あるいは少ないことが「自立」だとする場合のイメージとは、マッチョな、硬質な自立という印象があります。それはつまり、硬いけれども壊れたり割れたりしやすいというイメージが、ぼくにはあります。そうではなく、「より」柔性に富んだ自立もまたイメージしうるのではないかと考えています。

「わからない」がない、少ないことが自立であるのがなぜ脆いかというと、一例でも新たな「わからない」に直面した場合、それにはうまく対応しきれないからだとしておきたいと思います。ここでの「スタンド・アローン」的な自立像からは、新しい「わからない」に対応することはできないはずなのです。

一方、わからないことが本来的に「ある」ものであって、それを表明することができるのは、別種の「自立」を導くものだとぼくは考えています。それは、他者からの適切なヘルプないしサポートを、場合によっては積極的に呼び込むことが可能だからです。

こうして「わからない」の表明は、自己の補完に寄与していきます。それだけではなくて、他者との関係までもが刷新されていくわけです。自他ともの強化につながると言えると思うのです。

もちろん、いつでも・どこでも・誰にでも「わからない」を投げかけることは、得策とは言えないでしょう。しかし、適切な「わからない」の表明は、述べてみたとおり、自他の関係性の刷新や強化に寄与するものとぼくは考えています。「自立」像の転換を図ることが可能になるとも言えるのではないでしょうか。

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今回は以上といたします。このnoteを掲げてのclubhouseでのルームを開く予定ですので、遊びにいらしてくださると喜びます。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!


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