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【100分de名著】『金子みすゞ詩集』を視聴して。

こんにちは。2月6日(日)19:10です。

先だって、clubhouseでのルーム「100分de名著を語ろう」での『金子みすゞ詩集』について語る回が終了しました(2月3日木曜日)。clubhouse内で見かけた、みすゞの詩を1年に渡って輪読されてきた会の方々の参加も得たことで、とりわけ深い印象を残した1か月となりました。改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

テキストの執筆と出演は、松本侑子さんでした。はっきり言っておきましょう。ぼくは今回のみすゞの回は、ライトなものになると舐めてかかっていました。しかしそれは、大誤算であったと言えます。テキストも解説も、すばらしい。もちろんそれは、みすゞの詩そのもののすばらしさにも由来するものです。その一方で、松本さんの執念とも言える調査力、構成力にも最大級の賛辞を送りたいと思うのです。

全4回の放送では、各6~7編の詩作が取り上げられていました。本当なら、その全てについて感想めいた文を付したいところではありますが、それは止めておきましょう。

みすゞは、かの大震災後のACの広告を通じて「全国区」になったのでしょう。「こだまでしょうか/いいえだれでも」「みんな違って/みんないい」等のフレーズは、記憶に新しいのではないかと思います。

ここでは、番組で取り上げられた30編弱の詩作から、1作を取り上げてみようと思います。

蜂と神さま
              金子みすゞ
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。
             『空のかあさま』

100分de名著テキスト『金子みすゞ詩集』(松本侑子著)

極小の世界から徐々に大きな世界へと、入れ子のような構造が、最後の最後に逆転します。これを読んで、ぼくは天台・日蓮教学の「一念三千論」を思い起こしました。森羅万象のことごとくが、一瞬の一念、生命に収まっている。マクロコスモスと、ミクロコスモスとの、見事なまでの照応関係がここにあって、大きな感動を呼び起こします。

もう一つ、みすゞ作品に引かれたところを書いてみようと思います。それは、小さきもの、か弱きものの相互に向けられた、温かくも力強い眼差しです。小さきものは、その視線をまた別の小さきものに向けることによって、大きな力を体現していきます。ここにもぼくは、「同苦」にも似た、仏教的な視線を感じます。

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先に挙げた、みすゞ作品を輪読されている会は、毎日23時から、60分程度clubhouse内で開かれています。既に『全集』を4巡しているそうです。詩作の実際に触れてみたい方は、clubhouseで「金子みすゞ」で検索されると、当該ルームが見つかるはずです。オススメです。

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今回は以上といたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!


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