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【新企画始めます】ツイート落穂拾い(1)

こんにちは。

ツイートって、ぼくの場合は書きっ放しになってしまって、ほとんど見直すことはないのですが、中には「思考のタネ」が含まれていることがあります。そんな「バズらなかった」ツイートを膨らませて、一つのnoteとして展開していこうという企画を思いつきました。原則、前日のツイートをざっと見渡した上で、少しだけ膨らませてみようと思っています。試しにおつき合いくださいますと幸いです。

いったい、いつから「知識偏重」との言い方で、知育がDisられるようになったんだろうと思います。学校なんて、むしろ知育に特化すべきだろうと思います。十分な知識なくして、体験の深化はあり得ないだろうと思うのです。

23/02/24 06:37

こころの豊かさが、学校教育の名において実現し得るというのは、楽観的にすぎるか、強く言えば「傲慢」でさえあると思うのです。

23/02/24 06:45

この2つのツイートは、よく言われる「知育偏重」という批判への批判を含んでいるものです。ぼくはむしろ、一定以上の情報や知識がなければ、それらが「発酵」してより高い次元の「教養」や「智慧」として開花しないと考えています。人間には、「教えられるもの」と「教えられないもの」とがあると思った方がよいのではないかと思うのです。後者はむしろ、自ら進んで「学び取る」ものなのだろうと思うのです。

特に、学校教育として施されているものは、かなり「政治的」に脚色されていると考えざるを得ません。大規模な人的・経済的な投資が必要なので、政治的にならざるを得ないのですが、現状では学校教育「制度」はかなりガタが来ていて、見直しが迫られていると思われます。

いろんなレベルの問題が、複合的に絡んでいるものを、特に準備もなく書こうとしてしまったので、ちょっと一旦、筆を休めようかと思ってしまいました。今後、この「教育」についての問題は、継続的に考えてまいりたいと思います。つまり、「果たして教育とは、可能なのだろうか」。これが考えたいテーマとなります。

今回は以上としたいと思います。推敲せず、このまま公開とします。最後までお読みいただき、ありがとうございました。それではまた。


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