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【過去ブログ再見】「エンパワーメント」という言葉から(15/03/05)

こんにちは。

現在進めている、2000件近くの過去ブログ記事の「見直し」作業をしていると、あ、これは再提出してもいいかなという記事を見かけます。今回もそうした記事の一つをご紹介したいと思います。2015年3月5日公開分です。


(以下、転載分)

今回は、少し連想ゲームでもするかのような気持ちで、キーを叩いてみることにしました。原稿3枚くらい書ければいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。

「エンパワーメント(または、エンパワメント)、Empowerment」という言葉があります。「生きる力を湧き出させること」というような意味で使われるようです。

ここで直ちに「生きる力」って何?という、いわば「定義の連鎖」のゲームが始まってしまいそうなのですが、それはしないでおこうと思います。面倒くさいですからw

ウィキペディアを見てみると、どうも抑圧された状況にある人々のための言葉であったような含意があるのですが、ここではそれに敬意を払いつつも、「よりよき生を目指すこと」というような意味合いで、広く使ってみてみようと思います。

また、この語には「外からの働きかけ」といった側面があるように思いますが、ここではより内発的にという意味を込めて、「セルフ」を冠して「セルフ・エンパワーメント」という言い方を試みようと思っています。つまりは、「よく生きようと、自らに積極的に働きかけようとすること」というような意味合いだとお考えいただければよろしいかと思います。

しかしながら、それは「ここではないどこか」で「本当の自分」を探すようなものではありません。今ここに生きて在る自分自身から発するものであることが重要だと思います。身近な言葉でいうと、「成長」とか「成熟」が近しいものであろうと思っています。当然ながら、ここでぼくは、人間とは「成長」「成熟」し、「よく」生きようとすることが「できる」のだと前提しています。また、自らを鼓舞することとか、奮起させることというのも、イメージとして近いかもしれません。

少し、ぼくの「日常」に即して考えてみたいと思います。例えば、本を読んで考えたり、それについて何か書いて読んでもらうということ。それから、音楽を聴いてその感動を分かち合うこと。こういったことは、すべて「セルフ・エンパワーメント」に向けた行動に属すると言ってよいと思います。ここでのポイントは、「独り」を他者に向けて開いていき、交流・循環を図るということだろうと思います。こうしてブログを書いたりしていることも、その一環なんだろうと思っています。してみれば、10人いれば、10通りの「生の鼓舞」の仕方が在るのだろうと思われます。

今回はこんなところで。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(転載終わり)


いかがでしたでしょうか。また時々してみようと思っています。お読みくださいまして、ありがとうございました。それではまた!

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