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お家のお値段おいくら万円?

まわりは一列に並んで一足跳びに結婚していきます。そしたら当然所帯染みてきたりなんかしてさ、家やマンションなんか買ったりするわけだ。
賃貸派かマイホーム派かどちらがお安いのかしら?なんて終わりなき論争もなんのその、私は向こう30年も借金を返し続けていくことを考えただけでもう思考停止、もろもろの諸経費を計算する気力は消え失せ、こちらはただの惰性で今のアパートに住み続けるってのに(この間3回目の更新ハガキが届きました。本当はペットが飼える家に住みたいのだけど。引越しを考えるとまた思考停止)みんな数千万円のお買い物をきっちり済ませていきました。

毎月の家計簿眺めてみても、まぁ大体は住居費が支出部門の不動の第一位に君臨し続けているわけだから、賃貸にせよマイホームにせよ1番の金食い虫なのはこれ疑いようがなし。なのにかだからかお家の適正価格ってほとんどの人はよくわからんのではないでしょうか? 私には全くわからん。私だけ?

私は無類のお菓子好きで、毎日のようにコンビニスイーツを食べておるので、これぐらいの美味しさであればまぁこれくらいは妥当、ハーゲンダッツ抹茶味のお値段もまぁ妥当、イタリアンプリンは美味いけど買うのは50円引きの時だけ、などと自然に相場感が身についた。
よっぽどの資産家でもなければ、お家を買うのは人生でいちどきりなので相場観も何もないし、500万円のボロ家も1億円の億ションも私の知識ではふーんとしか思えません。

お家のバーゲンセールみたいなのがあるのかないのか知らんけれども、あったらいいなとは思いますね。1円でも安く手に入れたい朝刊チラシ握りしめた主婦たちがタマホーム開店前に札束持って行列作る光景は壮観でしょうね。だがマダム達よ強盗にだけは気をつけて欲しい。

家の値段について思いを巡らせていると、そういえば。そういえば、普段歩いているこの道もあの道も違うように見えてくる気がします。アパートからコンビニまで歩く道すがらでも、たくさんの家がある。その一つ一つが何千万円もする代物なのだと気づくと、これはとんでもないことだなと、そういえば思うのです。家を一つ一つ換金していけばアパートからコンビニまでに何億円ものお金が落ちていることになる。ご近所のたまに野菜お裾分けしてくれる、しおらしいお婆さんも家を持ってるってことは、つまりそういうことだな。以外とみんな金持ってるんだなぁ。

そういう自分にもマイホームが一つだけある。実家だ。
本当か嘘かわからんけれども、母親に聞いた話では築100年を超えるある意味では歴史ある木造建築物で、増築に増築の上塗りにより奇っ怪な間取りをしており、もはや原型を留めておらんともっぱらの噂だ。

最近芽吹いてきた悩みの種。今は両親が住んでいるけれども、二人がいなくなったらどうするか問題。実家に戻ることはもうないだろうけど、この家をどうしたものか。

住まないのなら売るしかないのだけれど、ではこの家の価値はおいくら万円なのだろう?夏には白蟻が行進するし、ゴキブリは見飽きるくらい出るし、私は全くの素人だけれども、こいつを不動産屋に売り込みかけても大したお金にならんことはわかる。わかるけれども、腑に落ちない。この家には私の全てが詰まっている。

はじまりはなぜか全く覚えていない。初めて実家の敷居を跨いだ時の記憶がない。その前ならぼんやりある。お金の工面に困った母を見かねて爺ちゃんと婆ちゃんが一緒に住もうと持ちかけてきた、どう思う?と聞かれた気もする。4歳だったからどうもこうもないのだろうけれど、何と答えたかな。
引っ越してからは爺ちゃんと毎日一緒に風呂に入ったな、あれはまだ風呂をリフォームする前でタイルがまだ斑な石の感じだった。御座敷では姉ちゃんと風船でバレーボールもやったし、トリプルアクセルも飛んだし、スキージャンプの再現もやったし、御座敷で大体のオリンピック競技は網羅したな。食卓の電気紐にガムテープが吊り下げられてて、そこに蠅と蚊が引っ掛かっていたな。赤い調味料入れ、有田焼の醤油差し。自分の席の前にポットがあったから婆ちゃんの急須にお湯を注ぐのは自分の役目だったっけ。二階への階段は急勾配で何年かに一度誰かしら転げ落ちてたな、怪我人出てないのひとつの奇跡だと思う。居間の大きな炬燵に潜り込んで、水戸黄門をみる爺ちゃんの足にした悪戯。ベランダで寝る前に鬼ごろしを飲みながら煙草をふかす母。連日続いた祖父母と父の喧嘩。ビール、取り出される、正方形の冷蔵庫。台風で飛ばされていった鶏小屋。リフォームする前の庭がどんなだったか思い出せない。動かない鹿威し風装置。蓋の閉じられた井戸。蛇口をひねると流れ出す井戸水が流れる先の流水路の苔の感じ。

ほんと一生書き綴り続けられるほどの、記憶、思い出、情景があの家にはある。住んでたのは15年程なので一生は無理なはずなのに、記憶の世界は延々と合わせ鏡みたく続く気がする。そして同じような記憶が代々住んできた人たちにもあるのでしょう。そんな怨念じみた記憶の染み付いた家なんて資産価値としてはマイナス要因でしかないんだろうけど、自分にとっては何億円お金を積まれても手放さない価値あるもの。やっぱり家の価値など自分にはわからない。

何代にもわたり100年積み重ねられてきたものに自分が終止符を打つのはやっぱりどうなのだろう。みんなどうしてるの。悩みの芽がさらに花開きそうだ。

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