エピソードの集合体がその場の人格となる

「ブックマンションってどういうお店ですか?」と聞かれることがよくありますが、その際には出来る限り目に見える事実をそのまま伝えるようにしています。僕の思想がどうこうというよりも、実際にブックマンションで起きていることを見ていただいた方がいいと思うからです。

「いろんな方がきますよー」と100回言うよりも下記のような投稿を伝えたうえで、一言「いろんな方がいますよ」と伝えます。百聞は一見にしかずではないですが、なるべく自分が見たもの、関わっている方が見て伝えているものをそのまま取っ手出しで伝えます。

「棚を借りていただいている方同士の交流もあるんですよー」と言うよりもこちらの投稿を見るように、コラボ商品ができましたという方がよりリアルなんですよね。

ブックマンション以外にも、何か聞かれた際には抽象的な話よりも、具体的な話をするようにします。それは目の前で起こっていることを見てもらって、各人に感じてもらい「ブックマンションってこんな感じなのかなと」と解釈してもらいたいと思うからです。

「自分の思想は、、」とか「こういう感じなのです」というのは伝えやすいのですが、僕自身のフィルターがかかって伝える状態になるんですよね。そして、別に僕の見ているものがブックマンションのそのものではないとも初期の段階で思いました。とはいえこうやってテキストにしている段階で、抽象化されてしまっている面もありますが。

ですので、「ブックマンションってどういうお店ですか?」という質問に対しては窮することが多々あります。管理者の立場として見ているブックマンション像、棚を借りてその場で本の提案をされている方が見ているブックマンション像、そしてブックマンションを訪ねてくれるお客さんのブックマンション像は三者三様だと思うんです。

このことをずばり感じられる映画があります。バンテージ・ポイントという映画です。下記のリンク先に記載されている開設にはこう書いてあります。

「スペインで開催されたテロ撲滅の国際サミットに出席したアシュトン米大統領が、大群衆の前で何者かの凶弾に倒れ、続けて現場に仕掛けられていた爆弾が爆発。大統領の警護に当たっていたシークレットサービスのバーンズは、すぐさま犯人の捜索を開始するが……。大統領暗殺の陰謀を複数の異なる視点から描くアクション・サスペンス。」

事件を目撃した複数の人の視点が描かれているもので、同じ空間で同じ事象を目にしているのですが、立場やたっている位置によって全く違った世界を見ています。

ブックマンションもまさにそうです。たぶん実店舗もネットも全ての場がそうだと思いますが、登場人物ごとに全く違う世界を見ていると思うのです。

僕は「本のある空間を増やす」という思いで取り組んでいますが、ブックマンション像やブックマンションの人格は、たぶん参加してくださっている一棚店主の皆さんや、ブックマンションを訪れる方それぞれが各人で作り上げていっているものだと思っています。

ですのでよく「エピソードの集合体がその場の人格となる」と伝え、エピソードに触れるたびにその像が変化してくると思っています。店舗物件を契約した場の管理者と、棚を借りていただいてい一棚店主の皆さん、そしてブックマンションを訪れてくれるお客さん全てが、立場も関係なく混ざることができるような空間にするのは、エピソードが生まれやすく、また当事者になることでエピソードを感じやすくするためです。

本のある空間ができ、その場が継続するような仕組みを増やし、本を媒介としたエピソードが日本中で数多く生まれたらいいなと思います。

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