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[3分短編小説]東京のロスタイム

あらすじ

2024年──東京。83歳の後期高齢者、終木蕃おわりぎしげるは故郷を離れ東京で人生を終えようとしていたが...

東京のロスタイム

2024年──東京。男が自宅のテーブルでSNSソーシャルネットワークサービスを更新している。彼の名は終木蕃おわりぎしげる、83歳。故郷を離れ東京で人生を終えようとしている後期高齢者だ。人生の終盤を迎え、彼は自身の人生の意義について想っていた。彼は思い付いた。1人で悶々と人生の意味を振り返るのではなく、折角だからSNSソーシャルネットワークサービスで様々な年代の人と話してみよう。しげるは所属しているFacebookの『植物が好き』というコミュニティに次の様に投稿をした。
「君たちにとって、人生とは何だね。」
10代少年よりコメントがあった。
「人生は、恋と友情と勉強と部活です。今が楽しくって仕方がないです。」
30代女性よりコメントが付いた。
「子供が産まれました。この子を育てる事が私の人生の第2章です。でもこの国の将来を考えると幸せな未来がこの子にあるのか正直不安です。」
40代男性よりコメントが届いた。
「仕事です。私は子供がおらず、結婚もしていない独身貴族なので1人を満喫しています。仕事で日本社会に貢献する事が私の生き甲斐です。」
80代女性がコメントした。
「私の人生は、恋ですね。この間老人ホームでまた好きな人が出来ました。何歳になっても恋とは初恋の様に新鮮で私を若返らせてくれるものです。」
しげるは一通り返信して再び考えた。やはり人生とは年齢によって捉え方が変わるものなのか。確かに自分も10代、20代の頃は毎日に一生懸命で自分の人生の意義を振り返る時間もなかった。働く事が求められた30代、40代、50代、60代もゆっくり立ち止まり考える時間はなかった。65歳を過ぎ定年してからだ。自分の人生についてじっくり考える余裕が出来たのは。定年後、働く事から解放され時間だけが望む以上に与えられ、一種の暇の中、自分の人生を振り返る余裕も出来た。お金や贅沢する金銭的余裕はないが時間だけはある。趣味や運動に費やすと同時に立ち止まって考える機会を与えられた。しかし悩んでしまった。私の人生とは何だったのだろう?私が残したものがあるのだろうか?人生に何か意味はあったのだろうか?私の人生の全ては雨の様に、涙の様に、流れ去って消えてしまう一瞬の儚いものなのだろうか?
自問自答を続けるしげるの横で、iPhoneが振動した。通知が来ていた。氷谷雪こおりたにゆきという名前の23歳の女性が次のコメントを追加したのだ。

「分かりません。私は何の為に生きているのか自問します。私は引きこもりです。10年近く中学生の頃から家に籠っています。一緒に育てている植物だけが心の癒しです。」
しげるはこの女性に興味を持った。恋心や下心ではない。自分もこの女性と同じ様に人生の意義が分からない同じ悩みを抱えていたのだ。しげるは少し考えてコメントに返信した。
「私は80代の老人です。下心はありません。一緒に植物園に植物を見に行きませんか?」
直ぐに返信は来た。
「嫌です。外に出るのが怖いのです。でも植物園には少し興味があります。1人では行けないですから。」
しげるは23歳の女性の雪の気持ちを考え一旦身を引いた。相手の気持ちを考えれば自分の提案を一方的にすれば良いと言うものではない。相手を傷付けない様に返信する。
「分かりました。雪さん、もし気が変わったらメッセージ下さい。」
雪からしげるにメッセージが来たのは3ヶ月後の晩夏の日だった。雪は植物園に行きたいと言う事としかしまだ外に出る事に少し不安がある事を綴っていた。お互いに東京在住だった。しげるは電車移動は雪の気に触ると思った。「タクシーで貴女の最寄り駅まで迎えに行くから勇気を出して」と添えた。雪から、返信が来た。
「8月30日、新宿駅の新南改札で12:00に待っています。クマちゃんのプリントが付いたグレーのパーカーを来ています。」
しげるは「雪さん。分かりました。新南改札を出て直ぐのSuicaのペンギン広場でタクシーを拾って小石川植物園まで向かいましょう」と返信した。これで良い。何か人助けにもなるかも知れないとしげるは思っていた。
2024年8月30日──12:00にしげるは新宿駅新南改札口で雪を探した。しかし何処にもグレーのパーカーを来た女性はいなかった。しげるが困惑していると雪からメッセージが届いた。「やっぱり辞めようかずっと悩んでいて遅れます。30分後に到着します」とあった。しげるは「ゆっくり来て良いんだよ」と優しく返答した。しげるは改札から出てくる人を1人1人チェックした。誰もが楽しそうに、憂鬱そうに、暇そうに、忙しそうにそれぞれ改札から出て来る。しげるは雪の気持ちを思った。「勇気を出すんだ」と心の中で雪を激励した。クマちゃんのパーカーを来た20代前半の若い女性が改札から出て来た。雪だ。メガネをかけていて髪は伸びっぱなしで痩せていていかにもオタクと言う見た目だった。しげるは「雪さんですね。終木おわりぎです」と短く挨拶した。雪は何も言わずに少しだけ挨拶したかの様に頭を傾けた。
「それでは、行きましょう」と言うとしげるは雪をエスコートしてタクシー乗り場えと向かった。しかし実際はしげるも80歳を過ぎた老人だ。エスコートすると言っても杖なしでは歩けない。2人の歩みは遅い。ゆっくりとタクシーを開けると2人は小石川植物園へ向かった。

          ◇

タクシー内で2人に会話は余りなかった。雪はiPhoneをずっといじっており、顔を俯けしげるの方を見なかった。しげるは無理に話しかけようともしなかった。
2人は小石川植物園へ着いた。この植物園は日本最古の植物園で、植物学の研究・教育を目的とする東京大学の附属施設だ。約16万平米の広大な敷地に所狭しと約4,000種の植物が暮らしている。春の梅や桜、夏の新緑、秋のイロハモミジ、冬の静寂な光景と一年を通してさまざまな景色が広がる。2人は先ず向日葵の前に来た。しげるが「話し掛けても良いかな」と雪に伺う。雪が少しだけ頷く。
「花は綺麗だね。でも何時かは散ってしまう。人生も似た様なものなのかも知れないね。」
雪は返答せずに、ハイビスカスの蕾を見ていた。しげるは蕾を見つめる雪に話を続ける。
「実は僕はこの歳になって産まれて来た意味や人生の意義を考えていたんだ。人生とは何だったのか──でも今日、君とハイビスカスの蕾が教えてくれたのかも知れない。人生とは変わっていく事だ。変わり続けていく事だと。」
雪は蕾から視線を外し、しげるに問いかけた。
「変わっていく事...?」
しげるは優しく微笑み、目を閉じて頷いた。そして雪に「気づかせてくれて有難う」と言った。しげるは雪に提案した。
「今日はまだ時間がある。新宿に戻って美容院に一緒に行かないか?君は、よく見ると美人さんだ。髪を切って気分を変えてみると良い。」
雪は何も言わずに蕾を未だ見ていたが、やがて視線を落として返答した。
「私...変わりたい。」
しげるは雪の肩にそっと手を当てると「変われるよ」と優しく呟いた。2人は植物園を後にして新宿駅の美容院に向かう。

雪は少し癖毛だった。しかも長髪なのでそれが彼女を重たく見せていた。美容院でしげるは縮毛矯正とカットをお勧めした。雪は勇気を出してしげるの言う通りにした。雪が縮毛矯正をしている3時間、しげるは「ちょっと散歩して来るね。終わる頃に戻って来る」と言って美容院を出た。
3時間後──雪が縮毛矯正とカットを終えるとしげるは美容院に戻って来た。しげるは雪にプレゼントを持って来ていた。雪が近視と聞いていて近視用のボシュロムメダリストワンと言うコンタクトを新宿のコンタクトショップアイシティで購入して来た。しげるは雪に「メガネを外してこのコンタクトを付けてご覧」と言った。サラサラなショートヘアーでメガネを外しコンタクトになりモデルの様に変身した雪が美容院の鏡の前に座っていた。
しげるは「もう一つプレゼントだよ」と言うとフランスのファッションブランドagnes b®︎伊勢丹新宿店で買って来たコットン100%タートル半袖サマーニットのグリーンのシャツを雪に手渡した。「君が好きな木々と同じ緑色だ」としげるは雪に伝えた。雪は美容院のトイレでagnes b®︎のシャツに着替えた。
雪は生まれ変わった。引きこもりの頃の伸びっぱなしの長髪とメガネとクマちゃんのグレーのパーカーの雪とは全く別人の、サラサラショートカットでコンタクトでagnes b®︎のタートル半袖サマーニットを着こなす新しい雪が鏡の前にいた。雪が「此れが私...?」と静かに感嘆の声を出した。しげるはそっと語りかけた。
「生きるって事は、変わるって事さ。」
雪の目から一筋の涙が溢れた。過去の自分との決別だった。悲しみと孤独へのお別れだった。そして新しい自分への祝福だった。

          ◇

2030年──しげるは天へ旅立った。
小石川植物園で1人の女性がハイビスカスの花を見つめている。雪だ。雪が1人で呟く。
しげるさん──やっと根を張ったね。行くね。また来るね。」
1人の男性が近づいて来る。雪の恋人だ。男性が「しげるさんとは何時も話してくれていたおじいちゃんの事かい?」と問いかける。雪が返答する。
「彼は私の──義理のおじいちゃん。義理のお父さん。そして──私を変えてくれた人。」
雪が恋人の手を取り歩き出す。ハイビスカスの花が雪に手を振り見守るかの様に風に揺られて雪のショートヘアーの様にサラサラとサラサラと揺れて手を振っていた。

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