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『PEANUTS』からの気づき

久しぶりに図書館へ行った。

書架に並んだ本を順に見ていたら前から読みたいと思っていた
スヌーピーの本が目に止まった。

『PEANUTS』はアメリカの新聞に掲載されていたコミックで、
作者はチャールズ・M・シュルツ。

私が借りた本の翻訳は谷川俊太郎。
ほしのゆうこという方が、
彼女の捉え方でコメント文を書いた本だった。

たった4コマにお話がギュッとつめられていて
作者による解説もないので、
読んだ人によって捉え方が違うかもしれない。


その中のひとつに、『KAIT 凧』というタイトルの話があって

チャーリーブラウンが凧をあげに行こうとして
妹のサリーに止められている。

サリー『その凧もって外へ行く気?』
サリー『凧食いの木が待ちかまえているわよ!
    逃げられないわ!』
チャーリーブラウンが無言でそのまま出て行こうとすると、
サリー『でもどのみち行くのね、
    そうなんでしょ?
    どうして?どうしてなの?』
チャーリーブラウン、凧をかかえて玄関から出ていきながら
   『男にゃ男の意地がある!』


この話にほしのゆうこさんがコラム的に書いている。

「凧をあげると、必ず凧食いの木に糸をからめとられてしまう
チャーリーブラウン。
それがわかっていながら、また今日も出かけます。

私たちはやりたいことがあっても、
自分にはできないと容易に諦めてしまいがちです。
自分の夢を諦めずにずっと抱き続け、
叶うと信じていれば、夢は消えずに待っています。
チャーリーブラウンも
いつの日か大空に凧を舞い上がらせる時が来ることを
信じているのでしょう」

中略だが、そういうようなことだった。



読み手によってはさらっと読み流してしまいそうな
4コマコミックが
このようなコラムを読むと深いなと思う。


私は『KAIT』を読んで
意地かいとクスッとなったが、

うまくいかないかもしれないのに
もういいやってならずに
したいことに挑むってすごい。

困難があっても、したいことを諦めない。


確かにチャーリーブラウンは
大空に凧が舞うことを願っているはずだ。



今は見かけないけど、日本の新聞にも4コマ漫画が
毎日載っていたな。
作者の意図まで考えずにかる〜く読んでた記憶がある。


何かを見た時、どう感じるか、何を学び取るかは
その人によって違う。
また同じ人が同じものを見ても、
前は何も思わなかったのに、今は心に響くものがある。

たとえば本を読み返した時、
以前読んだ時はピンとこなかったことが
すごく腑に落ちることがある。

今の自分に必要ということなんだ。


スヌーピーの絵のかわいらしさはもちろん魅力だけど、

70年も前に誕生したスヌーピーが
こんなにも長い間愛されて、
毎日のように目にするキャラクターになって、
こんなふうに漫画が生き方として
本になっているのは、
そこに人間が求めるものが描かれているからかなと思う。


哲学知らないけれど
哲学的になってしまった、、


スヌーピーと、
チャーリーブラウンと仲間たちの日常の絵が
見れば見るほどかわいらしくて癒される。

妹のサリーはシリアルをお皿に用意し、
チャーリーブラウンはトーストにバターを塗って食べているのが
なんかアメリカらしい。

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