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「流浪の月」感想

凪良ゆうさんの「流浪の月」を読んだ。
とてもよかった。

子どもの頃居場所のなかった更紗(さらさ)を「誘拐」した大学生の文(ふみ)。やがて文は逮捕され、その後誘拐事件の被害者と加害者として生きてきた2人が再び出会って…。

というストーリー。

先に映画版を見て、映画もよかったのだけれど、ラストで、文が更紗のケチャップをぬぐうシーンが私が考えていた文像と合わないように感じたことが原作を読むきっかけとなった。

原作を読んだ結果、そのシーンも含めて、文の背景や心情をより理解できたように思うのだけれど、果たして、今回私が文をより理解したいと思い、丁寧に心情を辿っていくような行程を現実世界の人に対しても行っているかと言えば、否だ。

「人は自分が見たいようにしか見ない」
これは、「流浪の月」を通して描かれているテーマだ。

私たちは、人に対して、事件に対して、分かったつもりになって、ジャッジし、考察し、批判する。
分からないのは、不安だし、気持ち悪いから。自分の常識や論理に当てはめて、消化しようとする。
自分が見つけた正解が揺るがされないように、きつい言葉で武装することもあるかもしれない。善意の塊として、押し付けてしまうこともあるかもしれない。

自分にも見えていない自分のフィルター。
外すことは難しくても、別のフィルターを持つ誰かの話に耳を傾けられるようになろう。
分からないままのもやもやを持ち続けられるように努力しよう。



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