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奈良のホテルにて

その夜、私は奈良のホテルで薬漬けだった。

こう書くとなんだか危険な匂いがしそうだが、実際は奈良への家族旅行中体調を崩し、正露丸とイブと花粉症の薬を飲んで横になったいただけである。

ホテルの慣れない枕に自分を馴染ませようと頭を動かしたり、いつもは見ないテレビ番組を流したりしながら、「なんだかうまくいかないなあ」と感じていた。

娘は2人とも中学生で、長女には喧嘩をすると「この家はママの家じゃなくて、パパの家でしょ。お金払ってないんだから」と言われ、次女には「ママのくしゃみの大きなところも、ドラマ見ていて泣くところもイライラする」と言われた。娘たちの中で、夫は「社会的な生き物でお金を払ってくれる人」で、私は「パートで稼ぎの少ないおばさん」と軽んじられている気がした。

夫は夫で、数年来、私には無関心だった。別に暴力や浮気をするわけではなかったが、ただただ無関心だった。

誰も私を大切に扱ってくれない。

私はそう感じていた。

ここまで書くと、まるでドラマのような虐げられた母であり、妻をイメージされるかもしれないが、それはフェアじゃない。私は私でひどかった。毒親になることを怖れたり、もっといい人になりたいと願いながらも、悪態をつきまくり、不機嫌を全面に出し、子どもたちや夫と衝突した。

思い返すと旅行は最初から最悪だった。電車の中で長女とボタン電池の捨て方のことで喧嘩。夫を連れて一旦家に帰ると電車を降りる長女。
その後再び合流し、無事到着したものの、連休真っ只中の奈良は、人が多く暑い。

奈良らしいお寺に行きたいという長女と、鹿せんべいを鹿にあげて、有名なお餅を食べたいという次女と、博物館に行きたいという夫のすべての希望が叶ったときには、もうくたくただった。
夕食のお店の前に並ぶ頃、胃もたれだか、熱中症だかわからない吐き気と気持ち悪さで、じっと立っていられなくなって、私は家族に告げ、1人ホテルに戻って休むことにした。

ホテルでシャワーを浴び、薬を飲み、カップに入った苺を3粒食べると、とても酸っぱい。

私に気を遣わずに楽しんでほしい。

その気持ちは本当だけど、私が去ってすぐ、ショーウィンドウを覗き込んでメニューを決めている3人の姿を見て、「私の存在って…」とちょっといじけたのも事実。

「だけど」私は思う。

「ホテルで1人で寝転んでる今が一番この旅行でやりたかったことをやれている」

「あー、もっと早くこうすればよかった!」

今まで勝手に自己犠牲的に振る舞って、勝手に怒って、勝手に悲しんでいただけかも。

薬が効いてきて、徐々に楽になってきた頃、夫と娘たちが賑やかに帰ってきた。

ベッドに横たわる私に
「ママ、トランプできる?」
「ねえ、この写真ビジュよくない?」
と言ってくる娘たちの言葉に、またちょっと傷ついたけれど、なんだか娘たちの自分勝手さや無神経さがたくましくも思える。

この子たち、私がいなくなっても大丈夫だ。

そう思うと、寂しいよりも自由な気持ちになった。


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