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コラム街

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ここはコラムしかない場所、「コラム街」。 コラムコラムコラム……どこを見てもコラムしかありません。なぜでしょう?  企画力をみがく講座「企画でメシを食っていく」で、 受講生… もっと読む
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#コラム

1人で静かに、心も身体もすっきりしたいときは「アクア東中野」第六回

仕事でドッと疲れての帰宅。 もう何も食べたくないしお酒も飲みたくない。人と話したい気分でもない。 そういうとき数年前の私であれば帰宅しすぐベッドに滑りこんでいたと思う。 数年前転職したてだった私は、慣れない環境に疲弊していたということと、事前に聞いていた“帰れる時間”がほぼ嘘であったことを知り、これがずっと続くのかと絶望的な気持ちになっていた。 その頃から銭湯「アクア東中野」へ行く頻度が高まったと思う。 仕事での疲弊と将来への不安感を抱えていたあの頃、サウナ室のTVか

最小で最大

最小の空間と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?マッチ箱の中、細胞の中、、解釈の仕方で捉え方は様々かもしれません。 しかし実際に私たちが現実で体験できる最小空間というと、 家、浴室、押入れの中など、実際に体感として体験できる空間の最小単位は限られてきます。 ましてや大人になり身体が大きくなってしまうと物理的にもその数は減ってくると思います。 空間デザインはそういった限定的な空間の中でも快適にまたは刺激的な体験を得る為の手段として世の中で活躍していると思います。 しかし

年表を眺めながら#5「その見え方でOKか?」

2019人は見たいものしか見ない、という「認知バイアス」。 網膜はすべてを捉えているはずなのに、意識したもの以外は脳が認識しない。通勤途中にある建物がある日突然なくなったとき、そこに何が建っていたのか思い出せないあの感じ。 『勉強の哲学』を読んでいたら、「言語的なVR」という言葉に出会った。ヘッドセットを装着しなくても、人は言語で世界を認識している。その人がどんな言葉遣いに馴染んでいるかによって、その人に見える世界は変わってくる。 私たち人間は、(物質的)現実そのもの

何時でも何人でも誰とでも。困ったらとりあえず「民俗村」第五回

「日本で今流行っている芸能人は誰ですか?」 私が明確に覚えている中では初めての、お店の方とのコミュニケーション。 お会計時私がまごついているときに、イライラするどころか会話をしようと声をかけてくれた。お会計のとき大体まごついて焦ってしまうので、妙に安堵感を得たのを覚えている。 (ちなみに「渡辺直美」と答えて会話は盛り上がった) 20年以上東中野でお店を開いているお母さん(店主)の料理は、私の中で一番うまい韓国料理屋であるだけでなく、そのサービス精神が嬉しくて、お腹空

年表を眺めながら#4「若者は老いると自然に大人になるか?」

1967 漫画家のモンキー・パンチは戦前の生まれだ。彼が世に出るエピソードが描かれた 漫画『ルーザーズ』(吉本浩二)に、モンキー・パンチの生みの親である編集者の清水文人が「これからどんな漫画雑誌を作っていけばいいか?」を悩む姿が描かれている。そのとき清水は、自分よりも年下の若者たちを見かけ「新しい時代が来る」と感じる。そこにいたのは、戦後生まれの団塊の世代だ。 しかし清水は、モンキー・パンチには「好きなように描け」と言うだけで、「あの若者たちに受けるように描け」とは言わなか

集中して何かをしたいときは「マクドナルド落合店」第四回

考え事をしたいとき。勉強をしたいとき。持って帰ってきた仕事をしたいとき。本を読みたいとき。 みなさんはどんな環境ですることが多いですか? 学生の頃から図書館や自習室などの静かすぎるところよりも、ちょっとした雑音があるようなところ(例えば電車内とか)の方が集中できる私。 かといって家でBGMをかけて作業をするのはダメだ。誘惑に負けてしまう。そもそも家で本こそ読みはするものの、仕事をする習慣がない。 そんな私にとって何かに集中したいときのベストな場所は「マクドナルド

まなざし

東京の雑居ビルの階段から、かすかにに見える富士山。 建物が今ほど多くなかった頃は、その姿はもっとはっきりと見えたかもしれない。 今も昔も存在する場所は変わらないのに同じ位置から見ている風景は確実に違う。 見ている位置や状況が変わるだけで同じものを見ているのに体験に違いがでてくる。 高いところに上ったり、低いところを覗き込んでみたり、 物理的な位置を変えてみるだけでも発見がある。 また、物理的だけではなく、 自分の心情などの内面の状態によっても見え方が変わってくる。 この

年表を眺めながら#3「突き放す笑い」

2003現在のぼくを知っている人にはことごとく驚かれる話だが、ぼくは20代だった2003年から1年ちょっとの間、お笑いをやっていた時期があった。きっかけは本屋で見つけた雑誌『Cut』だ。松本人志の「ひとりごっつ」が特集だった。後半のモノクロページを眺めていると、そこにお笑い学校一期生の広告が出ていた。学校はなんでも一期生が1番良い。ダウンタウンが吉本NSCの一期生だということからそんな考えを持っていたぼくは、いつにない行動力でこれに申し込んだ。 1995『ダウンタウンのごっ

お腹が空いた、、でも食べたいものが浮かばないときは「猿工房」第三回

大きい仕事に限ってタイミングが被ったりして、いつも以上にバタバタしたりする。 今は同じタイミングでリリース&短納期の案件が2件ある。 そういうのって誰しもあると思う。 あっという間に一日は過ぎ、すっかり冴えて、頭が「お腹が空いた」と言っている。 しかし身体は疲れているため、自炊する元気は全然ないし(作るものを考えて、スーパーに寄って、作って、食べるという一連の流れが限りなく大変だ)、食べることが大好きな私は「お腹が空いた、何か食べたい」と強く思うときにスーパーの出来合い

片隅の百葉箱

百葉箱を覚えているでしょうか? 百葉箱 気象観測のために設置する温度計などの観測機器を日射から遮蔽するとともに雨や雪から保護するための装置。 小学校の片隅にひっそりと佇んでいたあれです。 記憶の片隅にひっそりと、けれど確かにある百葉箱。 私は百葉箱を思い出した時、 当時の記憶や感情が連なって溢れ出てきました。 覚えている必要のないものだけど、 覚えているから思い出せる記憶や感情がある。 私にとって百葉箱は必要ではないけど、 時々、思い出したい記憶や感情の鍵なのです

年表を眺めながら#2「語り継がれる作品」

1999 高校生のころ、学校を休んで家で映画『東京物語』を観た。当時のぼくにとって学校はとてもつまらなくて退屈な場所だったから、この映画を観ることのほうが、学校へ行くよりも大事なことだと思っていた。 『東京物語』は刺激の少ない映画だった。それまで自分が観たどの映画とも違う、のんびりとした時間の流れ。棒読みのように淡々と話す役者たち。動きのないカメラ。刺激の少なさは逆に「考えながら観る」ことを促す。僕はその後、何度もこの映画を観て、反芻しては新たに感動するポイントを発見する。

年表を眺めながら#1『少年ジャンプと私』

社会学者・田中俊之さんの『<40男>はなぜ嫌われるか』には、今の<40男>たちがどんなふうに社会に影響されてきたかを指摘する箇所がある。僕が歴史に興味を抱くきっかけになった文章だ。 40男が少年だった頃、『週刊少年ジャンプ』が全盛期を迎え、ファミコンによって家庭用ゲーム機が爆発的に普及した。1980年代に人気だった『キン肉マン』や『北斗の拳』、あるいは、1990年代を代表する『ドラゴンボール』や『スラムダンク』の愛読者で、絵が得意だった少年たちは漫画家になりたいと願っていた

落ち葉の下に広がる世界。

道端に無造作に散っている落ち葉。 普段、気にとめられる事もなくただそこに落ちている。 そんな落ち葉の下にも世界が広がっているのではないだろうか。 落ち葉の下葉っぱが枝から落ちて地面に着くまでの間、 地面との距離は緩やかに素早く縮みながら葉っぱの下に広がる空間も形を変えていく。 落ち葉を覗き込むと落ち葉が創り出す空間の豊かさに感動する。 落ち葉一つ一つの形状が違う為、様々な建築を見ているような気分になる。 乾いた葉脈が建築を形作る構造物のように自身を支えているようにも見

福岡文化人類学〜第1回『日本酒文化と焼酎文化』

「しょっぱぃっっっ!!!!」 東京に来た福岡人が酒場で受ける洗礼が味の違い。特に塩気の多さに目をまん丸させた経験は誰しもにあるだろう。 (反対に関東の人が福岡の料理食べたときとかどんなんでしょう?「(ムダに)濃いぃぃいい!」とか?分からん...!!) そこで抑えたいのが「日本酒文化と焼酎文化」だ。 「日本酒は食べ物と一緒に口の中で混ぜるもの。焼酎は口の中をカラッとリセットさせるもの」 事実、僕はこの言葉に救われた。This is マジ金言。これを意識するだけでその地域の食事