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コラム街

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ここはコラムしかない場所、「コラム街」。 コラムコラムコラム……どこを見てもコラムしかありません。なぜでしょう?  企画力をみがく講座「企画でメシを食っていく」で、 受講生…
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#エッセイ

年表を眺めながら#5「その見え方でOKか?」

2019人は見たいものしか見ない、という「認知バイアス」。 網膜はすべてを捉えているはずなのに、意識したもの以外は脳が認識しない。通勤途中にある建物がある日突然なくなったとき、そこに何が建っていたのか思い出せないあの感じ。 『勉強の哲学』を読んでいたら、「言語的なVR」という言葉に出会った。ヘッドセットを装着しなくても、人は言語で世界を認識している。その人がどんな言葉遣いに馴染んでいるかによって、その人に見える世界は変わってくる。 私たち人間は、(物質的)現実そのもの

真の美食家は「辺境メシ」もおいしく食べる

この前テレビを見ていたら、プロデューサーのナスDが苔を食べていた。 木や地面に生えている苔をちぎってそのままムシャムシャ。 「甘い!水がいいから甘いなぁ」 自生している苔を平然とそのまま食べる姿にはなんとも言えない迫力があって、まぶしかった。究極の美食家だと思った。 その映像を見ながら、私はノンフィクション作家の高野秀行さんのことを思い出していた。 高野さんは辺境を訪ね、現地の人が食べているヘンな料理を味わう。 タイではタガメの炙りを食べて「和食に合う」と評し(ライムのよう

耳からよだれが出そうなシンプルな言葉

食いしん坊だと思う。 食べるのはもちろん、目や耳で味わう「語られるごはん」も大好き。人が話すある食べもの、外国文学やエッセイに出てくる料理は、どれもまばゆい。それがカエルの食べるちょうちょのサンドイッチでも。想像力というスパイスの効果は大きい。 昨年まで地方新聞社で記者、編集者をしていた。 ローカルマガジンを作っていたとき、レシピコーナーの取材が何より楽しかった。料理上手な主婦らに旬の食材を使ったレシピを教わるのだが、撮影中の他愛のない会話にも、耳からよだれが出そうな料