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【エッセイ】誰も教えてくれない世界の真実

世界が複雑怪奇なようで、
実は単純なものである。
そこに人間の感情が混ざり合うから、
微小な世界で生きる我々は生きづらいのだ。

そんなことを考えるようになって、
一体どれくらいの時間が経ったのだろうか?
世界は生きづらいし面倒だ。
この結論にたどり着いたのは、結構早かった気がする。

多くの大人はこの発言を聞いたときに、
「お前は主語がでかいんだよ。何も知らない癖に」
というが、今でも僕は「世界」という主語を使う。

僕の知っている世界、知りえる世界、かかわれる世界。
それは、物凄くちっぽけかも知れないが、僕にとっての全てである。
読書というのは、この世界を無意識に広げ、
世界の視点を増やしてくれる僕にとって最高の教科書だ。

でも、そんな事は誰も教えてくれないんだ。
「本を読め」という大人も友人もいるが、
「なんで?」と聞くと口を揃えて「知見を得られる」という。

だが、僕はそれだけではないと思っている。むしろ、
知見が広がる、というのは一部の側面に過ぎないのだと。

本がもたらす最大の効果というのは、
「心の拡大と充足である」と、ぼくは考えている。
そして、これがある意味で世界の真実なんだと思う。

つまりどういうことかといえば、
「表立って見えている何か」しか僕らは見えていないのだ。
その奥に潜む本質に関しては、人によって感じ方や
重要度が違うから、見られていないことがある。

世界だって同じで、世界規模で見てみれば、
きっと僕のような一般人の感情などどうでもいいのだ。
もっと巨視的な視点で考えているから、各人の感情や
思考といった微細なノイズはほとんど関係ない。

その視点を持った時に、世界はきっと
「自分が考える何倍も単純な仕組みで動いている」
という結論に達することができる。

ビジネスだって結局は「誰に」「どんな価値を」という言葉で
ある程度のことを集約してしまえる。
コピーだなんだというのは、あくまでその手段で手法だ。
感情を揺さぶり購買意欲を……というのは、あくまで手段であり、
物事の本質とは異なるだろう。

勉強だって同じだ。「未来のために」「自分のために」というが、
その本質はもっと違うところにある。
学ぼうとする姿勢、習慣。その根幹には、
「意欲的に学ぶ意思」があるのだと思う。

確かに必要性に駆られて、学校の勉強をしている。
その学び方や手順というのは、趣味や部活でも活用されている。
何かを好きになり、知ろうとした瞬間に、勉強は始まるんだ。
その勉強をする時、無意識化で学校の勉強と
似たようなことをしているんだ。

ただ違いがあるのは、「意欲的であるか否か」ということだ。
学校の勉強も義務感からやっていても、成績の良い人は
「やろう」と思って勉強をしている。
心の奥底から「やらされている」という人は、
学ぶことに興味がないから、ずっとそのままなんだ。

「意欲的に学ぶ姿勢。その方法」それを
身に着けるために学校に行けばいい。
もちろん、それ以外にも社会生活について学んだり、
コミュニケーションを学んだりする場でもあるが。
それは、集団で一律に教育する副産物であるだろう。

そう考えてみると、やはり世界はシンプルだ。
そして、迷ったら迷った。悩んだら悩んだ。
好きなら告白をして、嫌いなら遠ざければいい。
価値を感じなければ、それは無価値でいいんだ。

それだけでいいと思う。
世界を難しくしているのは、常に自分だ。
その感情だ。感情が自分の思考と世界に、
カラーフィルターを設置して難しくしているだけだ。

大事なのはそのフィルターを取り除いて、
しっかりと世界を見ることが重要なんだと。
僕は思う。


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