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【エッセイ】僕と乱読

こんばんは、レイです

今日は少しエッセイっぽいことを書いてみようかなと思います。

僕の読書法が、所謂「乱読」と
呼ばれる手法であると知って早数日。
乱読の方法をいろいろと考えてみて、
筆者との違いを知りました。

当たり前ですが読書の仕方は
100人いれば70人くらいは違うと思います。
30人くらいは、似たり寄ったりしている、
というイメージが勝手にあります。
この数字に根拠はないです。

さて、そんな読書法ですが
僕はこれまで誰かの読書法を参考にしたり、
誰かに読書法を訪ねたりしたことはありません。
むしろ、僕のしている読書法は、
人によっては「本への冒涜だ」という意見があって
然るべきな気がします。

僕の読書方法は「質ではなく量」を地で行き、
とにかく多くの本に触れて気になった所や、
面白いと感じたものだけを覚えているという感じです。
そして、エッセイや哲学書などは、
自分で飲み込んで理解できればその本質以外は、
ある程度忘れてしまうと思います。

そんな、読書法をしています。
これは、所謂「乱読」と言われるような、
読書法になるようです。

僕が乱読をしているのは簡単な話で、
乱読をしたほうが学びが最大化されるんです。
多くの読書法の本を見て、サロンのようなところも、
体験的なことはしましたが、正直微妙。

どんな場所でも、本好きの本好きによる、
本好きのための読書法なんです。
それは、読書好きというと語弊がある場合もあります。

しかしながら、学ぶ意思が強い、自分の生活を変えたいという、
ある意味の強迫観念のようなものを感じます。
そういった方に向けての読書法であり、
サークルなんです。

僕は自己紹介のnoteでも書いていますが、
本によって人生を変えられた人間です。
そんな僕がどうして、一冊一冊をまじめに読めと言わないか。
簡単で、そもそも「うつ病」を一度経験すると、
活字が一時的に読めなくなり、読解力というか、
思考に制限がかかります。考えるのを、感情が拒否してブレーキするんです。

でも、そんな環境でも僕は本を読みます。
正しくは、本を眺めているといってもいいかもしれません。
そして、「うつ病の時は、どんなに面白くなくても最後までページをめくるようにしています」というのが、僕のポリシーです。

一方で、なんともない日にはどうしているかというと、
割と真面目に本を読んで楽しんでいます。
でも、一文一文を嘗め回しているのではなく、
最低限自分で定めた速度を保って、読み進めています。
そうしないと、集中できないし深く文章を理解できないからです。
文章にはつながりがあるので、前後の関係を覚えているうちに、
しっかりと次の文章に、場面にたどり着きたいのです。

そして一日に読む本のジャンルは、多ジャンルです。
酷い時は、歴史書とラノベを一緒に読んでいますよ。
それくらいの感覚で、僕は読書を楽しんでいます。

読書って自由で気軽で、なんだか救われているものであってほしい。
もっと誰もが簡単に、気楽に始められる趣味であってほしいと思います。
そのためにも、「軽く流して読む」という
乱読を僕はこれからも好んでやっていくのだろうと思います。

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