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【エッセイ】頑張りと認める心

こんにちは、レイです。
今回は本ばかり読んでいる読書馬鹿な僕が
思うに「頑張りすぎだよ」という
少し変わったお話です。

なぜそんなことを思ったのかというと、
ふとこの本が目に入ったからです。

頑張りすぎず、無理せず――
頑張らないというところに、
ちょっと心が揺られたんだよね。

唐突ですが皆さんは夢を
持っていたでしょうか?
今は「夢なんてなんもない」と言っている人も、
実は子供のころは大きな夢を持ち、
真面目に練習したり、遊んだりしていたのではないでしょうか?

幼少期から既に人とは違う行動をしていた僕は
実は小学校2年生にして「夢を捨てた」という
非常にもったいないことをしてしまった、覚えがあります。
捨てた夢の中身なんて大したものではなかったですが、
あの時僕は『前に進むことを辞めた』人間になったのです。

とはいえ、今ではこうしてライター擬きをしながら、
読書コミュニティを運営している身です。

うつ病になりながらも、
なぜ今はソコソコに前を向いて
懸命に生きていられるのか。

それは、
夢を捨て、現実からも目をそらし、
自分と本との世界に逃げ込んだ僕が
辿り着いた境地が一つだけあるからです。

「僕は十分頑張っている」

ということです。

大人や友人は僕に対して

「もっとまじめに」「本気でやれ」
「なんで努力しないの?」
「もっと頑張れ」「もう一声だ」
「一緒にがんばろ?」

という心もとない声をかけてきます。
いや、僕だって頑張っているし、
まじめにやっているのだが?
これ以上がんばれって、
僕にどうやれというのだろうか?

そんなことを、教師や顔見知り、知人、
そして自分の親に対して思っていたことを
ふと思い出した。

でも、心の中では
小さな自分が涙を流しながら叫んでいるのです。

「頑張ってるじゃないか」
「これ以上は無理だよ」

その自分を無視して頑張っても、
塞ぎこんでゲームオーバーなだけでしたからね。
残念ながら、『僕は頑張っていた』のですよ。
結構必死に。

僕の同年代や、上下5~6歳くらいの
人を見ていても同じことを感じる。
「よく頑張っている」と、
本当に思うのだ。

ただ、だれもその事実を認めてくれないし、
隣を見ると、自分よりも頑張っている人がいるから、
もっと頑張らないと認められないと思ってしまう。

でも、そんなことはないんだよ。
君だって、頑張ってきたんじゃないのか?
その心のわだかまりを少しこぼしてみ?

と、僕は真剣にそんなことを考える。
だってそうじゃないか、
常に情報や刺激を受け続ける環境で、
何が必要で、どうして自分が生きているのか。
そんなことすら分からない環境で、
僕たちは20年近く生きてきたんだ。

少しぐらい迷子になるし、
不安になるし、
誰かと比較すれば、劣ることもある。

ただ、それでも君は君のがんばれるように、
努力できる努力を積み重ねたわけで、
「お疲れ様。少し休もうよ」
というのが、僕の精一杯だ。
だってそうだろ?頑張っている人間に、
『がんばれ』だなんて無責任で最低な言葉を僕はかけられない。

だから、まずは周りがその子の努力を認めて、
最終的に当人も、周りもその子供の
努力の過程を、苦悩を、遍歴を、思考を、
少しだけ分かろうと歩み寄り、
認めてあげることが重要だ。

このご時世、いろいろなことが原因で、
心に闇を抱えるのはどうしても
避けようがないことなのかもしれない。
だからもしも、
僕がそういう人を助けられる環境にいるのなら、
迷わず手を差し伸べて、隣で話を聞けるような、
そんな普通の人間になりたいと、強く思った。

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