【016】新一万円札の顔。なぜ今、渋沢栄一なのか。
皆さんは、2024年に1万円札が変わることをご存知でしょうか。今までは、「学問のすすめ」で有名な福沢諭吉さんが一万円札の顔として描かれていました。
日本の人口が3000万人程度であった明治初期に、全国民の10人に1人、300万部の売り上げを記録したほどの影響力を持つ福沢諭吉に変わる人とはどんな人なのでしょう。
新1万円札の顔「渋沢栄一」
今回は、新1万円札の顔である渋沢栄一さんが書いた「論語と算盤」という本を元に、渋沢栄一さんの功績や考え方について書いていきます。一言で言うと、渋沢栄一とは「利益と道徳の追求を実現させた人」です。
渋沢栄一は1840年に現在の埼玉県深谷市で生まれ、藍玉の販売や養蚕などを行っている農家の生まれでした。幼いころから読書に勤しみ聡明でしたが、24歳の時に倒幕計画を企てるが中止。その後、のちの徳川最後の将軍、徳川慶喜となる一橋慶喜に仕えるなど、政治にも関心があったようです。
「株式会社」「資本主義」の日本への輸入
その後、28歳で日本が初めて参加したパリ万博の使節団としてフランスに渡ります。そこで株式会社や資本主義の制度を学び、日本に初めて広めました。その後、郵便制度の設立、鉄道開業、新貨幣・円の導入、富岡製糸場・みずほ銀行・ガス会社・大学・病院などなど500以上の会社の設立に関わりました。
そして、設立した会社は今も約6割が形を変えて残っているなど、今の日本の基幹産業の発展に大きく貢献した方だといえます。では、このような実績を残した渋沢栄一さんはどのような考えを持っていたのでしょうか。
人間の観察法「視る、観る、察する」
「視・観・察」の3つのポイントで人物を観察することで、その人の真の部分が明瞭になり、如何にその人が隠そうとしても隠せないと言っています。
何かを行っている人を観察するときは、まず、その人の行っている行動を視る。そして、その人が行動している動機を観る。最後に、その人が何に安心するのかや、何に満足するのかを察する。
私は、ついつい人を観察するときは、その人の行動に目が言ってしまったり、良くてもその人がなぜその行動を行っているかで判断してしまうことがありますが、それだけに止まらず、さらに1歩踏み込んでその人が何に安心をし、何に満足をするかまでをみることが大切だと感じました。
また、私自身は見る立場だけではなく、みられる立場でもあるので、自分自身の行動について考えるときにも、「視・観・察」の3点から鑑みてみようと思います。
常識とは「智・情・意」を備えたこと
渋沢栄一は、常識について、「人として生活する上で、常識はいずれの地位にも必要で、また、いずれの場合にも欠けてはならぬこと」として捉えています。同時に、常識とは何かというと、「智恵・情愛・意志」をバランスよく発達させたものである。
智恵・・・善悪や是非がわかる
人として智恵が充分に発達していないと、物の善悪や是非がわからなかったり、利害得失を判断できない。たとえ、その人にどれほど学識があっても、善いことを善いと認めたり、利あることを利ありと見分けることができないから、そういう人の学問は宝の持ち腐れに終わってしまう。
一方で、智の弊害として、場合によっては詐欺などのズルをする人も出てくることや、利益ばかりを追求していると仁義や道徳を疎かにしてしまうことも考えられる。
しかし、「仮に悪事をしたことがないことが良い」に偏ってしまったら、人々は成果を出すことに消極的になり、善意のための活動をする者も少なくなってしまうことが心配になる。また、成果を出し社会に貢献する人がいなくなってしまうのであれば、人生の目的がどこにあるかもわからなくなってしまう。
情愛・・・物事の調和を保つ
しかし、智恵ばかりで活動ができるかというとそうではなく。そこに「情」が必要になる。
例えば、智ばかりに優れて情愛の薄い人間はどのようであるか。自分の利益を得るためには、他人を突き飛ばしても一向に気にしない。また、智恵の働くものは物事の原因結果や道理を理解し、それを自分の利益となるように利用する。
このように、他人が迷惑や困難などを感じても、何とも思わないほどの極端になってしまう。この状況を調和してゆくものが情であり、人生のことにすべてを円満な解決に向けて進めてくれる。
しかし、人の喜怒哀楽愛悪慾の七つの情によって生まれる事柄は、変化が強く、心の他の部分でこれをコントロールするものが無ければ、感情的になり過ぎてしまう。ここで「意志」が必要になってくる。
意志・・・情を抑制する
動きやすい情を抑制するものは、強固な意志である。意志は精神の本源でああり、強固な意志があれば、人生においては最も強い者となる。
しかし、意志ばかりが強く情も智も伴わなければ、ただ頑固者とか強情者な人物となり、意味もなく自信ばかり強くて、自己の主張が間違っていても、それを直そうとはせず、どこまでも我を押し通すような人となる。
完全な常識
このように、強固な意思と聡明なる智恵、そしてこれを調和させる情愛を持ち、これらを大きく発達させて初めて完全なる常識となる。現代の人はよく口癖のように、意志を強く持てというが、意志ばかり強くてもやはり困り者で、俗にいう「猪武者」のような者では、どれほど意志が強くても、社会にあまり有用の人物とはいえないのである。
今の社会では、偏差値教育などに代表されるようにIQが高いことが一つの物差しとして存在している。しかし、渋沢栄一はそれだけでは充分ではなく、他社のことも考える情を持ち、その情をコントロールする意志も併せ持っていることが、常識であり、人として生活する上で、いずれの地位にも必要で、また、いずれの場合にも欠けてはならぬこととして述べている。
人の幸せ
最後に、渋沢栄一は人の才能には個人差がある。そして、それを自覚した上で自分のベストで社会に貢献することで満たされる。それが真の幸せである。と述べている。
私は、日頃生活をしていると、ついつい人と自分を比べてしまったり、自分の知識が足りないことにもどかしさを感じることがある。しかし、渋沢は、そんなことを気にする必要はなく、自分の能力の「智恵・情愛・意志」を全て満たしながら社会貢献をする。それが本当の幸せにつながると言っています。
また、智恵だけでは充分ではなく、情愛や意志も併せ持っている必要があると言うことは、偏差値教育などでIQが大きな判断の軸となっている社会で生きていく上でも、改めて考えるべきことなのかと思いました。