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頭痛恨み節

何かしら理由をつけては酒を飲むという愚行をやっているのだが、その後に必ず来るこの頭痛には耐えがたい。実際自分は日曜に3度目のワクチン接種を済ませたばかりであり頭痛に関してはここ数日で嫌というほど味わったのである。それなのになぜ病み上がりのさっぱりした頭に劇薬を流し込んでしまったのだろう?私は後悔する。だが後悔したところで血中の毒物が蒸発してくれるわけでもなく鉛のような頭を抱えて酒以外の新たな慰めを求めた結果noteを開いている。そんな夜である。

自分は普段、テレビとは無縁の生活を送っている。だから何だと言われれば全くその通りで、深遠な理由や液晶画面に対する特別な憎悪があるわけではない。ただ無くても全く困らないので怠惰にもその状態を放置している。だがそのおかげで自分は本当に世事に疎く、プロ野球選手の名前を誰一人知らないのはもちろん、北京オリンピックが開催されていたことをつい昨日知ったくらいの大馬鹿者になってしまっている。まずい取り残されると思って始めたTwitterも、気づけばタイムラインが「ジョルジュ・バタイユbot」や「人bot」、さらには普段拝読させていただいているnoteの皆様のアカウントで埋め尽くされており、世間で話題になっている事柄に触れる機会はほとんどないというわけで、このまま自分は竹林にでも籠って一生を過ごすのかしらんと寂しい気持ちになっていたところ、本日タイムラインに流れてきたのは唐突な宣戦布告の話であった。

我々若者にとって、戦争など別の世界の出来事である。教科書や映画でしかその体験をしたことがなく、下手をすれば戦争はおろか個人の殴り合いやケンカさえも未経験だという体たらくである。唐突。唐突過ぎる戦争。むろんウクライナのことを言っているのである。

日本は四方を海に囲まれている。日本の関心事はほとんど日本に関することである。空気から血の匂いがすることは、まずない。どんなに人里離れた田舎に行っても、人間関係やら何やら様々なムズカシイ問題が取り巻いているにせよ、流血事件が起こることは滅多にない。こちとら生まれてからずっとそんな世界である。それが、いきなり、戦争である。

何を言ってるのやらサッパリ分からぬ理屈によって今この瞬間同じ空気を吸っている人間が殺し合いをしているという感覚は、本来ならば今日のような非常事態が無くても意識下に置いておかなければならないものなのは間違いないのだが、馬鹿な私はそのことに全く気づかずバタイユなどを読んでいたわけで、現実世界はバタイユ以上にもっと熾烈で、救いようがなくて・・・なんて書いてると自分のナイーブさにはなはだ呆れてくる。

「戦争が必要なのは、今この瞬間に誰かが闘って死んでいるという現実感が、平和を維持するために必要だったから」

押井守「スカイ・クロラ」より

いつか見た映画のセリフを思い出す。今日は生きていること自体が危険なのだという意識に押しつぶされるようになりファミリーマートに直行して500ml缶を買い衝動的に流し込んだ。平和を維持するのに戦争が必要だという背筋が寒くなるような言説が本当にまかり通るのならば、それは自分も死ぬかもしれない、という明確な意識が人間を謙虚にするから、なのだろうか。さっぱり分からないけど、久々の缶ビールの、のどごしは最高であった。やっぱり、生きていたいものだ。

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