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体育会系坊主の深い苦悩

寒い寒いと言われればそうだが、そんなこと言ったところであったかくなりはしない。寒いのなら火を焚くべきである。そんなことも分からぬのか、愚か者め。和尚に頭をペチリと殴られた弥太郎は、いかにも悔しそうなしかめ面を浮かべていたものの、内心では舌を出していた。

弥太郎は体育会系である。つまり、全てを精神で何とかすれば生きるのがだいぶ楽になると信じて疑わない人間であった。寒い?ならば精神で暑くなればよい。人間の精神を舐めてはいけない。暑いも寒いも、辛いも悲しいもすべてはその人がそう感じているからそうなるのであって、相対的なものに過ぎない。

この人生が素晴らしきものであるという事を、本当に、虚心坦懐に、心の底から思うことが出来たなら、目の前のこの灰色の情景はあっという間に目を見張るような素晴らしいものに変わり果てるだろう。弥太郎はそう信じて疑わなかった。だからこそ、彼は仏門に入ったのである。

だが、仏道は彼の期待をあっさりと裏切った。

「和尚」と名乗る坊主の、なんたる放埓、無為飽食、厚顔無恥だろうか。夜更けに一人で大福を喰い、朝になれば寺の小坊主を集めてやれ修行だの阿弥陀如来の苦行だの空海法師の逸話だのを、顔をしかめて偉そうに滔々とやった後、檀家とうまい酒を飲むのである。そして夜は遊郭に遊びに行き、顎に溜まっただぶだぶのぜい肉を色欲でしっかり燃やした後、豚のようにいびきをかいて眠るのである。

何が仏門か。ただの助平ではないか。

弥太郎は寺を見限り、一人で山荘に閉じこもった。

そこには蜘蛛がいた。密閉された空間に網を張るその蜘蛛は、屋根が吹き飛びでもしない限り決してその空間には入ってこないだろう獲物をじっとこらえて待ち続けていた。それは弱っていた。胴体は彼の八本の足と同じくらい痩せ細っていた。弥太郎はその蜘蛛を見ていた。あの蜘蛛の精神はどうだろう?虫一匹いない密閉された山荘の中で、孤独に獲物を待ち続ける不幸な蜘蛛は、彼の研ぎ澄まされた精神により、六畳しかない彼の世界を「目を見張るほど素晴らしい世界」と認識できているだろうか?弥太郎にはわからなかった。彼にあるのはただ凄まじい空腹のみだった。問題ない、この空腹でさえ精神の力で乗り越えられるはずだ・・・と思っているうちはまだ余裕だった。次第に彼の意識に薄くて透明なもやのようなものがかかり始め、幻覚が見えるようになってきた。母の声が聞こえる。やさしい子守歌、なめらかな乳房。「生きなさい。」

彼は目の前にいる蜘蛛をつかみ取り、むしゃむしゃとそれを食い尽くしてしまった。

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