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耳そぎマン

ある日鏡を見ると、自分は禿げていた。

不思議で仕方ない。なにせ、急激に禿げたのであるから。

とめどない後悔の気持ちが、胸に迫り来てあふれんばかり。なぜ、自分は、あの時、一本抜いてしまったのだろう?毎日の風呂あがり、どうしてあんなにガシガシやってしまったのだろう?

だが、彼らは戻ってこない。二度と、戻ってこないのだ。

ああ、別離の悲しみとはこれか。心の中で、一本一本の髪の毛が、「こっちだ!」とか、「はよ逃げろ!」とか言ってちょこちょこ走り回り、俺から逃げてゆく。どこへ行くのだ。俺から逃れて、そのような細い体で、いったいどこで暮らしていくというのだ。

だが、いつまでもふさぎ込んでいたところで、決して状況は好転しない。何らかの対策を打たなければならない。

禿げてて何が悪いのか?

突然、疑問が浮かんだ。たしかに、禿げてて悪いことは何一つない。このまま山手線に乗ったところで、誰も自分のことなど見向きもしないし、そもそも禿げている人なんて世の中にごまんといる。それなのになぜ、自分はいま、恥ずかしくてたまらない気持ちになっているのだろう?

そうだ、自分は、今のこの自分の「禿げている」という状態ではなくて、「昨日までフサフサ→今日からハゲ」という圧倒的な変化、青天の霹靂、コペルニクス的転回、まさにその変化こそが嫌なのである。ならば、その変化を究極的なものにまで進化させ、もはや開き直れるようにしてしまえばいいのだ。

すぐさま、バリカンを取り出す。そのまま残っている乏しい髪の毛をすべて三ミリで刈り取った。

さあ、これでどうだ?

鏡を見ると、想像していたよりも貧相で、頭の形が歪んだ、顔色の悪い冴えない男が映っていた。

そして思い出した。自分は生まれつき、頭の形がいびつであり、だからこそ髪を伸ばして腕のいい美容師にいい具合に切り込んでもらうことでなんとか整容を保っていたという事実に。

目の前の生物。なんだこれは。これではまるでE.T.である。何とかせねば。いや、もはやどうにもならない。こうしてしまおう。

耳を切り取った。

するとどうだろう。今までのE.T.と東洋人の間の子みたいな気味の悪い生物は瞬く間に消え、すべすべした肌を持つ宇宙人のテンプレートみたいな生命体になりつつあるではないか。

すぐさま鼻も切り取る。これで、宇宙人の完成だ!

見れば見るほど、笑いが止まらない。我こそは宇宙人である。私はもうこの地球の生物ではない。だから、どういう格好をしてもいいのである。そもそも、ハゲはダサいだの、服を着てかっこよく整えなきゃいけないだの、ぜんぶ地球人が考え出した下らぬ慣習に過ぎないではないか!これで、いいのだ!

外に向かって一歩歩き出す。太陽、青空、道ばたの草花、何一つ変わりはない。すべて思い過ごしだったのだ。すべて「自分は地球に住む一市民だ」という帰属意識が、自分をテンプレートに嵌めなければいけないという自意識を生み、ひいては様々な苦しみを生み出した。自分は、これで、いいのだ。鼻が無くても、耳が無くても、最終的に自分は物体に過ぎない・・・・


耳と鼻から流れる血が、靴の上にポトリと落ちた。買ったばかりの純白のスニーカーに赤いシミがついた。それは、どうごまかしても、やはり不快であった。

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