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ブランコ考

ブランコというのは不思議な乗り物である!1枚の板が2本の平行なロープによって吊り下げられた、まことに単純明快な遊び道具なのだが、一度その板に座れば、老いも若きも地面を蹴って大空へと漕ぎ出さずにはいられない!一度地面を離れれば、あとはどれだけ振れ幅を大きくすることが出来るか、誰も彼もが頼まれてもいないのにも関わらず勝負を始める。タイミングをうまく合わせて空を蹴り、振れ幅をなるべく大きくしようと試み、到達しうる最も高い点で一瞬彼の身体が宙に投げ出された時、臍の奥の臓物が誰かに持ち上げられるような、肝臓から気持ちの良い風が吹き上げてくるような、そんな感触を覚える。だが、彼の快楽は長くは続かない!大自然の冷酷な物理法則によって、彼の身体はあっという間に地面に引き戻され、そして再び、あの感触を味わうことになる。

考えてみれば、人間は吊り下げられたりぶら下がったりするのが大好きである。ハンモックだのバンジージャンプだの、スカイダイビングだのクライミングだの、空中に身を投げ出すことによって快楽を得る行為がカタカナ文字を冠して趣味になっているものは、実に枚挙に暇がないほどたくさんある。

地に足をつけて・・・という慣用句の通り、人間は足が地面についている状態が普通であり、押しも押されぬ日常であり、二本足で立っているからといっても何の感動も覚えないのはこれ当たり前の話である。「ねね、すごい!オレ、立ってる!」なんて、きょうび1歳児でも言わないセリフだ。

だが、これが大昔ならどうだろう?昔と言っても、我々がまだ四本足で大地を闊歩しているような時代のことである!当時流行った娯楽は何だったろう?何かに登ること?吊り下がること?いやいや、きっと足だけで立ってみることだったのではあるまいか?

私には見える。まだ四足歩行だった我々の祖先が、森の木々につかまりながらなんとか2本の足で歩き、ウホウホ周りの連中に自慢している、そんな情景が。つまり、我々が快楽を感じている、あの吊り下がるだの、空を飛ぶだの、登ってみるだの、いろいろな「地面から足を離す」行動は、来るべき進化のための練習であり、次の段階へと自分たちの身体機能を進化させようとする偉大なる試みなのではないだろうか?つまり、人間は空を飛ぼうとしているのだ!ブランコとて同じである。ブランコにまたがったとき、過ぎ去りし子どもの頃の時代を思い出してしみじみとした気持ちになるのは、くだらないものに汲々としつつ、己の現状維持のためにさまざまな苦労をしなければならない人間社会の中で疲れ切った我々の原初の魂が、ブランコにまたがることによってはるか昔に抱いていた大空への支配欲、進化への試み、挑戦の喜びを思い出し、その不在への寂しさに咽び泣いているからではないだろうか。いつの間にか齢を取り、自分にはこれ以上の進化の見込みがない、自分には現状維持しかできないと悟ったとき、人間は虚心坦懐にブランコを漕げなくなる。よしんば漕いでみたとしても、幼き頃のあのワクワク感、あの何とも言えない充実した感じはなかなか取り戻せない。我々は齢を取ると、ブランコに見棄てられるのである。それは、未来に無限大の可能性のある者しか受け付けない、残酷な遊具なのである。

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