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下半身にも休日を!

ああ、この俺、この俺の美しい大腿よ!汝はむくりと膨らみ、重き上半身を少しでも高みへと連れてゆこうとしなやかに伸縮する。その動き、その慎ましさ、その大胆さ、その力強さは、これ右に出る者いるはずがなく、見れば見るほど惚れ惚れする。ああ、そして美しき、わが下腿、ふくらはぎよ!傲岸不遜な上半身が、少しでも己の位階を高くしようと、つま先立ちをするときに、頑固に、しっかりと収縮し、その重みを支える。踵をぐいっと持ち上げる時、むんっという微かな声が聞こえるのだ!男性的な、逞しい声。ああ、汝、ふくらはぎよ。そなたの御姿、身体を無理くりひねってでしかマジマジと見ることは出来ぬけれども、その素晴らしきヒラメ筋の線維一本一本が、我の礎となりて、我は汝により生かされていること、僕は知っている。そして、この足底、この踵、この爪の細胞一つ一つに至るまで、なんと健気な存在、高貴な存在であろうか。

考えてみれば、いつも彼らは損をしている。美味いものを食べたり、すばらしい音楽を聴いたり、美しいものを見たり、この世のありとあらゆる快楽は、全てこれ上半身、上にどっかと乗っかり、ただ偉ぶっているだけの醜い、穢い上半身の閲するところである。我々が鰻重をすっぽんの出汁で流し込んでいるときも、彼ら下肢は、つつましやかにテーブルの下に折りたたまれている。美しい音楽を聴いて感動しているときも、彼ら下肢は、自分では決して知ることのできないその旋律の奏でるリズムに合わせて、規則的に収縮し、ゆさりゆさりと動くのみである。つまり、上半身が快楽を味わっているときでも、彼らは常に労働をしているのだ!「支える」という労働、「運ぶ」という労働。美しき力持ち、この世界の犠牲者、それが我らが下半身なのである。

貴様何を言うか、あの快楽、あの突き抜けるような快楽はどこへ行ったのだ?いやしくも人間の三大欲求と言われる三つのうち、決して、決して、下半身だけにしか為し得ぬものがあるではないか?貴様、アレはどこへいったのか?貴様が愚弄している、我々の上半身は、アレを味わうことが出来ないのだ!さあ、この事実を鑑みて、貴様は何を思う?人間には下半身がついている。だからこそ、人間は逸楽を得て、子を生み繁栄することが出来るのではないのか!

いや、だからこそ、だからこそだ!この私の下半身がたまらなく哀れに思えるのだ!思えば生きてて22年、その「下半身だけにしか為し得ぬもの」を存分に味わう機会がなかったばかりか、この先もそのような機会があるとも思えない!なんと無能で、惨めな、上半身の下についてしまったのだろう?こんなにも美しいフォルム、力強い筋繊維を持っているというのに、私の下半身ときたら、まるで宝の持ち腐れ、馬の耳に念仏、豚にダイアモンドである。ああ、下半身よ、どれほど汝は惨めに思っているだろう?出来れば股関節をばいますぐ切り離して、他の上半身のもとへと去ってゆきたいことだろう。

そこで私は考えた。

休暇だ、休暇を与えなければならぬ。下半身にも休日を!さあ、本日12月8日を、「ふともも記念日」と定め、これを称揚する!今日一日は、下肢の筋繊維一本たりとも、動かしてはならぬ!これは、決まりだ!破ったら重罪!きりはなしの刑に処す!

というわけで、これを実現するためには、行動に移さなければならぬ。行動こそ、実現の第一歩だ!というわけで、今日は逆立ちで散歩した。

路行く人にじろじろと見られる。はずなのだが、目線がいつもよりも甚だしく下にあるため、誰の視線をも感じることはない。イヒヒヒ、馬鹿どもめ、貴様らが普段気にしているような世間様だの評判だのそういう世界は、標高1.4m~1.8mのみで繰り広げられる限られた世界であって、ひとたび逆立ちで通勤すればこんなにも新しい世界、穢れのない世界が味わえるのだ、うしし。しょせん貴様ら人間の占めたる世界なんて、ほんの一部にすぎんのだよ、などと一人悦に入っていると、誰かにむんずと足首を掴まれた。おいこの野郎、卑しくも「支えられている身」のくせに、我が高貴な足首を掴んでこれを慰みものにする不届き者は何者かと顎を引いて目線を上に挙げてみれば、目に入りたるは腰にぶら下げたマジモンのピストル。警察であった。これはヤバいと当方青ざめ、ひたすら弁解するも信じてもらえず、「下半身を休ませてあげたいと思ったんです。」なんて言っても首をひねられるばかり、精神病院に連れていかれる一歩手前までいったところで、「朝まで呑んでたんです」などと嘘八百を並べ立て、泥酔しているふりを装って平謝りに謝り、罪を犯して我らが下半身を酷使し歩いて帰宅、帰った後は罪滅ぼしとて、ひたすら下半身ちゃんにセルフサービスでアレを与えたとさ。ぐへへ。


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