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夢喰い虫

川べりの木の根元に、一匹小さな虫がおった。これは夢を喰う虫である。それも、悪い夢、嫌な夢を食い、消化し、その大便を桜の木の根元に垂らすのだという。桜はその大便を養分にして、とても綺麗な花を咲かす。これがこの小さな虫の役割なのだ。

この虫は世界に一匹しかいない。なにせ、一人一人の人間の夢などちっぽけすぎて、彼一匹を養うのに地球のすべての人間が見る悪夢を合わせても足りないくらいだ。たかが夢である!米一粒ほどの価値もない!だが、それでもかの小さな虫の大切な養分であることは確かであった。

夜、一番星が輝くと、かの虫は川の水を一口飲む。すると、あっという間に体が膨れ上がってゆき、やがて月ほどの大きさになり、ゆっくりと空に浮かび上がる。そして、ねとねとした唇を開いて大きく口を開け、世界中の悪夢を一気に吸い込むのである。カービィみたいに。

その光景は素晴らしく、見るものすべてがあっと息を呑む。夜空に浮いた一匹の巨大な虫が、赤や、青や、緑の小さなかけらを世界中から吸い込み、それを咀嚼して消化する。その様子は、彼の体が透けているため、地上にいる人間から鮮明に見える。さまざまな色をした悪夢たちが、彼の臓腑の中で混ぜ合わされ、金と赤と青の発光ダイオードをバケツに入れてばら撒いたような美しい緑色を発して、空にゆらゆらと揺れていくのである。これを人間どもはオーロラと呼び、太陽の磁気がどうたらとか、地球の磁場がなんたらとか下らない説明をしているようであるが、それは大間違いである!それは、かの虫による、人々の悪夢を喰い、消化し、大地の養分とするための蠕動運動であり、命の大掛かりなデトックスなのである。

さて、朝陽が登ると、かの虫はアイスクリームのようにとろとろ溶けてゆく。空の上で溶けた彼の体は、雨となって大地に潤いをもたらす。そして、かの虫はその雨粒と一緒にポトリと地面に落っこちる。そして糞をする。小さな糞である。茶色い、いかにも糞だという糞を、必ず桜の木の根元に置いていく。するとその桜はどんなに寒い季節でも、青々とした葉っぱに覆われていても、翌日には必ず満開の花を咲かせるのだという。

人々の夢は、こうして大地のための乳となる。その夢の内容が恐ろしく、身の毛もよだつような代物であればあるほど、かの虫の腸管の中で、鮮やかな美しい緑を発し、その夢が親しい人の喪失を嘆くような、悲しいものであればあるほど、その糞を根元に落とされた桜は、美しい花を咲かせるのだという。



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