変な人

坂口恭平さんに『現実脱出論』を読んでいる。まだ読み終わっていない。

初めて読んでみたのだが、感想は「変な人だなー」だった。たぶん読み終わっても変わらないと思う。

なんだろう。生粋の変人ってこういう感じの人を言うのだと思う。いや、坂口さんだけでなく、いわゆる天然ものの変人っていう意味で、こういうタイプ(タイプという言葉で括っていいのか分からないが。大体変人は「変」の方向性が色々なので)いるなーっていう感じだった。

他の人が変人についてどうとらえているかは分からないが、私の中で「変人」という人々は、元々ある自我が強くて他者との協調があまり必要ない人たちである。強い人達で、いわゆる常識を自分の中に取り込んで、常識に自分を合わせない(又は合わせることができない)という印象を持っている。

坂口さんも例にもれず、なかなか自我が強いタイプと見た。小学校1年生から、1日のやりたい事を円グラフでタスク管理するとはなかなかである。彼曰く、楽しいことでもダラダラやると時間に追われる感覚がして嫌だから、きっぱりと時間を決めたということだが、ほら、なんかもう自我が強い感じがプンプンする。

彼とは違って、養殖ものの変人もいる。ファッション変人(又は変人気取り、変わっていることがカッコいいととらえている人)とはまた違って、一度自分の内面に常識を取り込んでから、そこから外れていく人達である。

例えば、パッとは思いつかないが、芸人さんとかそんな感じの人が多い気がする。彼らは観客を笑わせなければいけないが、観客というのは大体の場合一般人であるため、彼らの常識に合わせて笑いの構成を組み立てる必要がある。それは、常識を知らないとできないことだ。だからと言って、芸人さんに常識人が多いのかと考えると、どちらかと言うと変な人という感じが多い。

別に、天然だから良いとか養殖だから良いとかそういったことではなく、ただ、そのように分けられるなと私が捉えているだけである。


さて、少し視点を変えて考えてみると、この変人か否かの境界線は受け手の問題であるともいえる。つまり評価者、冒頭の坂口さんと私の関係性で言えば私の方、芸人さんと観客で言えば観客の方が、彼らの行動や思考を「常には無い」と捉えるからである。常日頃、例えば坂口さんの奥様や娘さんからすれば、彼の思考や行動に触れる機会は多いはずだから、あまり変だとは思わないのではないか。それが常識とは言わずとも、一般の枠ぐらいには捉えているのではないかと思う。

つまり、変人を作り出しているのは、実は受け手である我々の方なのである。彼らはただ彼らとして存在しているだけなのだ。自然と同じように。

そう考えると、変人と言われる彼らの方が、自然には近い存在なのかもしれない。逆に我々の方がよっぽど不自然で歪な存在なのかもしれない。

まあ、つらつらとこんなことを考えてみたとしても、やっぱり本の感想は「変な人だなー」で変わらないと思うが。

ただ少し羨ましい。彼みたいに強く生きてみたい。

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